感情はカルマ /日々の鍛錬で消えていきます。

 




年齢とともにギラギラとした欲望からだいぶとおざかりました。
昔のようにブランドものやハイファッションに「かわいい!!」と心高ぶることもなくなりました。今おもうと、それも仕事の一部で、そのときには無我夢中、一生懸命でした。若いときにはエネルギーがありあまり、エネルギーを浪費していました。今では、無駄なことにエネルギーを使うよゆうもありません (笑 )

瞑想や霊性を学びはじめて30年以上たち、すこしづつですが、高揚感の中にあった無理な力みやイガイガした痛みは消えていきました。今もまだ自分の行為が環境にどう影響をあたえているのかを観察し浄化し続けている最中で、これだけ長い浄化が必要なのは、前世から持ちこしたカルマで作られた今生だからでしょうね。

いまでも、わたしは自然環境に負荷をかけない生活ができている人間とはいえませんが、幼少期自然の中で育ったため、都心で生活していても、なるべく環境に負荷をかけないようにしたいという思いが消えることはありません。そのことに矛盾が正じてしまうようなことからは、自然にはなれていくほうが、本来の自分自身をおだやかにいきられることは頭では理解しています。生命は自然そのものですから、目的が自然から反していれば、無理や苦しみが生まれるます。ですが、わたしは、突然すべて手放して生活をかえることができないのです。こういったことにも理由があるのだろうと感じます。とにかくマイペースでいます。だいぶそぎ落としましたが、まだ生きるための欲もあります。


約30年お仕事をさせていただいて、仕事モードから少しづつはなれて介護生活に移行したことは、長年のストレスと不自然な力みを浄化するリハビリのような日々。

誰でもできる鍛錬を毎日しています。鍛錬の継続については、過去にも思いがけないときに、成長変化を実感できたことがあり、その経験が継続の原動力となっています。意識しているのは、できるだけなまけないということだけです。ただ、なんでも継続すればいいのかというとわたしはそうではないと思っています。

職業は人格をつくるとおもいます。30年身にしみついた仕事からはなれて、職業によってつくられた人格をゼロにする方に向かいました。小さなお仕事はしているものの、これから先自分がどう生きるかのイメージはなかなかわきおこりませんでした。それは、いきていることに源泉が何もないような毎日で不安定ではありましたが、今、目の前にあるやるべきことにただ没頭することにしてみると、それこそが、ただいまを生きることであり、とてもよかったのです。

スピ系では、ワクワクすることをすればいいと言われていますが、わたし自身は必ずしもそれだけではないと思っています。介護はワクワクすることではありませんでした。老いてきた母とあって別れるたびに悲しくなり、胸の奥からわきおこる思いに動かされて、介護をはじめてみると、とてもつらかったのです。ですが、自分の中からわきおこる介護に対するつらさと不快な感情と日々向きあい、その感情を観察して浄化することにも没頭しました。

不快さは日々観察すると私のカルマでもあることがよくわかりました。人の面倒をみて辛いのは体力不足のせいもあるとわかりました。体力がないと、精神力だけではカバーできません。それゆえに、物事をおおらかにとらえることができずに、自分の思い通りにならないことに対していらだつのです。大きな器でどっしりかまえる余裕がないのは体力とも関係します。その苛立ちを毎日観察して浄化しました。すると、今まで一度も腹筋を鍛えることだけはできなかったのですが、体力をつけるために毎日すこしずつ腹筋をする気力も湧いてきました。


介護からも気づきは大きく感情の浄化がすすみ、以前よりもおだやかな気持ちで介護に向き合うことができるようになりました。こうしてこの5−6年の介護を振り返っただけでも、自己客観視と感情の浄化、毎日の鍛錬の成果を感じています。あたりまえですが、日々のセルフケアと鍛錬で、自分を良い方向に変化させることは誰にでも可能です。

最近は、またあらたな価値観がふつふつとわきおこりはじめています。ようやく自分の方法で自分の泉の源泉につながりはじめたのです。それから、瞑想中に、今までに気づかなかった方法で、身体と心の癒し方を思いつきました。いったん内側につながると、さらに奥へと進んでやるべきことがみつかっていきます。自己探求の道には終わりがありません。今は身体と、食べ物の食べ方についての意識にあらためて気づかされています。もっともっと心身を大切にしようとおもいます。


第2幕の道は、無理のない自分とつながってはじまりました。それでもまだまだ道の途中ですが、自分の方法で確実な自己発見ができている実感があります。今までの外部から評価を得るために力まなければならないような「力み」の価値観は、過去のものとなりました。とても時間がかかった価値観のひっくり返りがようやく本当にはじまったようです。


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外側の誰かは、ことわざなどを使って、もっともらしいことを言い聞かせようとしてくるかもしれません。
自分の中にいったんもどって、自分はどうおもうかをよく観察してみます。自己観察の時間は何よりもだいじな時間です。

外側の誰かの言うことと、たしかに共通項はみつかったとしても、その誰かの思いと自分の思いのすべてが一致するわけではないことに気づくまで観察してみてください。
外側のズレと自分の思いを確認すると、「わたしはこうしよう」とか「わたしはこうおもう」というように、自分らしい意欲の源泉をみつけることできます。
その源泉に気づけたことに感謝します。


いつも自分の中にもどり、目を閉じて呼吸をして、自分の声を聞き続けてみてください。
自分のための時間をとればとるほど、本来の自分と外側のちがいを理解できるようになります。

成功した誰かは、わたしのことをどうこう言うかもしれませんが、
その誰かはわたしとはちがう生命を生きています。


他者同一化の癖に気づき、同調圧力には同調しないようにすると、
自分自身が楽になります。
どんなにすごい人とも、どんなにえらい人ともちがいがあります。
例えば悟りを開いた覚者と言われる方が、
あるところまではお手本になっても、いつかそのお手本は必要なくなります。
自分は自分でしかありません。
古くなったお手本にしがみついているままになっていないかどうか自分を観察します。

注意深く自分の感情観察することを繰り返していると、
古くなってしまった方法や、自分からズレていたことに
すぐに気づいて、古いものを手放して、自分にもどる速度がはやくなっていきます。
古いものを手放すとき、自分にもどるときにはしずかな時間がじゅうぶんに必要です。



気をつかって外側にあわせているときには、自分とはつながっていません。
そのことに気づきはじめると、古い方法を手放すことができるようになります。


古い方法から離れることをおそれずに。
何がおきても大丈夫。


とてもちいさなみじんこのような存在ですが、
一瞬の生命の奇跡です。


誰でもない自分自身で、本来の自分でありますように。

毎日のお酒薬性欲物欲,,,
などいきすぎた強欲に依存しているときには
本当の自分を知ることはできないでしょう。

それらが、精神への負担になり、身体の中に古いエネルギーを溜め込んでしまうからです。
本当の自分とつながろうとおもうとき、それらへの興味はかくじつに減少していくのではないでしょうか。

もし過度な依存があるときには、たいていは、何か心に問題があるのにそのまま放置しているからです。

みたくないものほどゆっくり観察して、手放すことで、問題のこじれた糸はほぐれはじめます。
いままでながらく背をっていたおもたさは確実に消えていきます。


風潮にながされることなく、自分の本質の声を聞き分けられるように、
自分の中にたくさんの静けさをとりもどしましょう。


感情的になった時には、
ごめんねとありがとうを
忘れないようにしたいです。












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