スピリチュアルな世界と介護




スピリチュアルな世界というと、
不思議でわけわからないことと想像する人々も多いかもしれませんが、
スピリチュアルな世界にもいろいろな世界があると思います。
それは例えば椅子の世界といっても、椅子にも色々あることと変わりません。


自分を通してみえていることから気づきを得て浄化して、
たましいの汚れを取りはらうことを継続する行為を
スピリチュアルな世界とも言います。



介護は4年目。
「3年くらいで終わるから」という亡き父の声が聞こえたんですが、4年目に入りました (笑)
3年めまでは、介護=辛いというおきまりの定説の枠に収まりきり苦しんでいたのですが、
介護を通しての気づきはあまりにもたくさんあって、
4年めに入ってから、光がさしはじめました。
誰かのための意味ある行為は、
継続していると晴れていくのだなと実感できました。




介護に対して、あまりに多く痛い意見が飛び交っていて、
心苦しくなることがあります。


深い気づきがあったので、
4年足らずの経験の中からではありますが、
シェアさせていただいています。



それぞれにどんな方から生まれてきて、どんな環境で育ち、
どんな経験をしていても、
全部自分で決めてきたことだと腹をくくる。
そのことに感謝して
他人と比べない。







別居していて田舎暮らしをしていた両親は、
ともに80歳過ぎた頃から少しずつおかしくなりはじめました。

冷凍庫の中をすごい量の食品が埋め尽くしていたのにも関わらず、
毎月実家に帰り様子をみに行くたびに、それでもまた何か届いて、
よくよく冷凍庫を見ると、5−6年前の冷凍食品もそのまま入っていたりして、
それを処分するとすごい量になりました。
説得して生協をやめました。

心の声は
「無理に頑張りすぎて稼ぐとこうやって無駄なゴミを作るんだ」
と教えてくれました。



そうなっていた理由としては、母は毎日3回食事を作らないといけない、
父にせがまれ、食事作りが辛くなり、
冷凍食品でなんとかしのぎたいという思いが強くなったのではないかと。

その頃から、趣味の手芸がもうできないと言い出し、
たまに母から届く手紙の字はボロボロになりはじめていました。
度々母は「あー私の人生一体なんだったのかしら」と言っていたのを聞きました。

それはそうです。
あれだけ何事にも一生懸命取り組んでいた人が何もできなくなっていくのですから。

しばらくすると、母は足が弱り、実家で転んでしまい、車椅子生活に。
あれよあれよと老化が進み、食事も、自分でお箸をもてる時、もてない時が出てきました。
こう言う親の老化をみはじめた時は、子供にとっても一番辛い時ですが、
あとで思えば、思うようにならない親本人が一番つらかったと思います。

血圧の薬の飲み過ぎのせいだったのか、父は、母への暴言が強くなり、
オムツをするしないでも自分と四六時中戦っていたようです。

兄夫婦も夜遅くまで仕事をしながら、両親の家によって、
朝晩みてくれていましたが、
結局二人とも施設に入ることになりました。

施設入所したばかりの父は、施設中歩き回り、なんとか家に戻ろうとしていたそうで、
父だけは結局しばらくの間家で生活していました。

私たちは1ヶ月に一度は両親の様子を見に行っていたのですが、
父もどんどんボケていきました。
同じことを何度も繰り返して言うようになり、
毎回別れ際は辛くて仕方ありませんでした。
ものすごく厳格だった父が、ある時
「お父さんも東京に行きたい」と子供のように言った時には、
言葉につまりました。
なくなった後も、それが心に残っていました。
そのあとあっという間に癌でなくなり、母は施設で暮らしはじめていました。


介護=辛い
というのはどんな人からも聞いていたことで、母を東京の家に迎えた当初は
何から何まで心配で久々に気が狂いそうでした。

はじめはデイサービスを探しました。
私の職業柄でもありましたが、予算もあり、何件みても見ても気が済まず、
結局20件以上見学をしました。
この時は学んだ透視もさほど役に立たないほど、人の命を預かる緊張で、
足元が浮き上がった状態でした。

母を都内に迎えた時には、車椅子でトイレにもいけない、
家のトイレにギリギリ車椅子が入らなかったり、、、
トイレに行きたいと言える時、言えない時もある。
食事も介護が必要な状態でした。

日々意味不明なことも話します。
 (私は意味不明なことを言う母に付き合うことを苦に感じたことはなくて、
むしろ楽しんでいます )


介護でよくあるのは、
感情の押し付け合いです。
普通ではない親に対して怒りがこみ上げて、
その怒りを押し付ける。
親も薬やら何やらで、
感情も行動も平常ではなくなってしまった自分と戦っているので、
言ってることも支離滅裂になりわかってもらいたいのです。


感情の押し付け合いをやり合い四六時中過ごすと、どちらも心は病んできます。

このやりとりはもちろん私にもはじめの頃はよくおきました。

幸いスピリチュアルを学んだことがここでも役に立ちました。
透視カウンセリングもしていたので、
感情の押し付けは私の本性の一部であることにもすぐに気づかされましたし、
これが明らかに愛ではなく闇に向かう行為であることにも気づきました。

一歩外に出ると、いい顔するのに、弱ってしまった親に対して、
怒ったり、ひどいことを言ったりする人間性はまだまだ未熟でこれこそ浄化する部分だと
痛感しました。

介護は、隠れた自分の悪魔を追い出すまたとないよい機会だと思いました。

この時に、介護をすることは自分のためでもあると気づき、
それに付き合ってくれている母にはただ感謝しかありません。

まだ介護を初めて間もない、感情がわさわさしていたある時に
「あなたは人の気持ちをよく考えなさい!」
とつよく言われ、ハッとしました。

これはすべてのことに言える究極のことでもあると思いました。


介護は、けして介護だけじゃなく、自分の生き方、
心の中のことと全てと通じることでもある。
あたりまえのごとく全てがつながっていると思ったのです。


そう感じると、ここから学ぶことははかりしれず
本当に自分が変化できる大浄化の時を親から与えていただいたと思いました。
親をみることは、思っていた以上にすごいことで、
この浄化は母の面倒を見て、はじめてできることかもしれないと思いました。
「親の面倒を見なさい」と言う声を、日々思い出します。



ある時に、「老化でボケておかしくなっている人たちにもちゃんと理由がある」
と書かれた文章を目にしました。


母にも理由があって、苦しくてこうなっていることを理解しようと思い、
母は答えることが上手くできませんが、質問するようにもしました。
それから自分の考えも丁寧に母に説明するようにしました。

それは毎日毎日同じことを優しく、はじめて言うように繰り返し
説明することでもありました。

施設やデイ、ショートステイに行きたがらないのにも理由があります。
何度か聞いてみると、
トイレを知らない人に手伝ってもらうこと、
食事があまり美味しくないこと、
食べたいものが思うように食べられないことなどが嫌な原因であることがわかりました。


トイレについては、
「大丈夫よ、何万人の人がそれを知らない人にやってもらっていて、お母さんだけじゃないから。」
と何度か説明しました。

ケアマネさんには「食事が美味しくないみたい」と相談してみると、
しばらくしてからですが、食事内容が変化したのか、
たくさん食べて帰ってくるようにもなりました。
ケアマネさんには、愚痴や悪口にならないように気をつけながら、
気づいたことはなんでも話すようにしています。




都内の生活に慣れるまで時間がかかりましたが、
母は北海道で生まれ、子供の頃は祖父の輸入仕事の関係で、上海に暮らし、
帰国後伊豆に疎開して、中学から大学卒業までは東京に住んでいたので、
母が都会を嫌いではないことや、あたらしい変化に適応できることもわかっていたので、
いまになれるだろうと思っていました。

時間のある時には、旦那さんの協力を経て、
公園に行ったり、
特別な日には、お寿司や中華、ピザや、ホテルのモーニングビュッフェを食べに出かけたり、
美術鑑賞や、六本木ヒルズの屋上、
母の知人でもある陶芸家の先生の作品を百貨店に観に行ったり、
その時々、車椅子の母にもできることを思いついてするようにしています。

母の人生は、自分の仕事と、父が仕事に忙しく自由にできる余裕がなかったので、
きっと今になって色々と楽しんでいるのではないかと感じています。

家には、テレビはないので、クラッシックを聞いたり、動画で料理動画を見たり、
  NHKオンデマンドを見ています。

今よく見ているのは、
 NHKオンデマンドの連ドラ、チコちゃん、クラッシック、世界の旅、ひろしのぼっちキャンプあさイチなどはよくみます。

 アマゾンでは、孤独のグルメは旦那と一緒に何度も何度も見ていますし、
YOUTUBEでパレド Zや料理人のドキュメントはずっと観ています。

昭和一桁生まれですが、いかにも老人がみるだろうと思うようなものには興味がなく、
かと言って今風なテンポが早いのも何を言っているかわからないようです。
ツボを探すのは難しいですが、人それぞれのツボがあります。

最近ショートステイ歴4年経ちました。

毎回戻ってくる時に「楽しかった ?」と聞くと、
3回に1回は「うん」とうなづくようになり、安心しています。

介護する私も、母も、なれるのに3年はかかったと思います。
毎回SSの3日前に母に「もうすぐショートステイで、お留守番お願いします」
とお願いするのですが、
お願いしたその日から、咳が増えたり、気分が悪いと言い出したりすることがよくあり、
その度私も憂鬱になっていました。

なので、こちらも言い方を変えて、
「私よりずっと上手な介護のお兄さんとお姉さんが少しの間みてくれるから、ゆっくり安心して休んできてね、お友達とお話して楽しんできてね」
というようにしています。


「なんでも、ありがとう!というと、みんなが優しくみてくれるよ」と話してから、
母は、施設でも、介護士さんに度々「ありがとう」と言っているようですし、
私たちにも度々「ありがとう」と言ってくれるようになりました。
母がありがとうと言ってくれるので、
私も「こちらこそ、お母さんありがとう」と返します。

説明の仕方を変えてわかりやすく工夫して話すことは母への理解にもなりました。
また、何度も何度も同じことを繰り返して話すことは
一回一回、ただ今だけに集中する訓練に役立ちます。





ある日私が母を大切に思ってベッドから抱き起こした時に
「ありがとう、こんなに優しくしてくれて」と言われたことがありました。
ああ、言わずとも全てわかっていたのだなと思いました。
それまで私がソワソワイヤイヤに介護をしていたことも当然感じていたのだと思いました。
人は歳をとり、自由が聞かなくなり、
ボケて純粋になればなるほど、本当のことをわかって感じていくのだと思います。



母は私より身体が小さく、
私でもなんとか抱きかかえられるような状況です。思い切って薬もやめてからの母は、
躁鬱の起伏がなくなり、通常のおおらかな母になっているので、
介護しやすいです。


もし、自分より大きな人や感情の起伏が激しい人の介護をしなくてはいけない場合には、
危険を伴うので、
施設に預けながら、できることをする方がお互いにとって安全だと思います。
ショートステイは最長で毎月2週間滞在することができるので、
面倒を見たいけど、毎日は辛い時には、
デイサービスよりもメリハリがあって
オススメです。


ショートステイを利用すると、生活に変化があるので良いと思います。
デイサービスは元気なうちは良いのですが、
毎日通うことが、体に負担になってきます。
ケアマネージャーさんに相談すると、いろいろわかることがあります。
介護をしている方に負担がかかりすぎ、介護ノイローゼになることもあるようですので、
お仕事や子育てがある場合には、自宅介護は難しいと思います。


感情のもつれは、弱者に対する理解不足から起きていることが多く、
自分の中に眠ったままになっている怒りや感情の押し付け合いを超えることにこそ
たくさん気づきがあります。

また親の老化を観察できることで、人がどのように老いていくのかがわかるようになります。
これもすごく大切なことのように感じます。


弱ってしまった親への感謝をして
お世話をさせていただいて、
今までのどんな経験からもできなかった
奥の奥の浄化ができるのだとも感じるようになりました。
ちょうどそう思えた日に、
母から、「あなたは私にも感謝しなさい」と言われました。(笑 )

もちろん「ありがとう!お母さん」と言いました。





 

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