しみついた思い込みをはがし続ければ何もなくなっていく



「すべて嘘だと思ってください」


全部嘘!!
やっぱり!!
だって究極的には「無」なんでしょう。
その時にそう思いました。

クンルンネイゴンのエネルギーワークを学ぶ最初の日に師から聞いた言葉でした。
(また書いてます。)





純粋な意識は孤独であり続ける。
そして、それは組織しようとせずにただそこにあって、そして究極的にはすべてとひとつである。



瞑想はここに向かうためにあって、そして「無」へたどり着いたなら、そこからさらに先へも向かう内面の旅。

無の先に何があるのか、何もないのかは私にはまだまだわかりませんが、
いつかの瞑想中に私にはずっと笑っている七福神のような自分の顔を見たことがありました。
まず私の行く先は笑のようです。


全てへの思い込み、染み付きを次々とはがしていきます。
はがしてもはがしてもでてくる、それは永遠に続くかのようです。


古い染み付きが剥がれていくときの経験には、今までのどのような経験よりも気づきがあり、新鮮で、軽く、何ともくらべられない優しさと信頼があります。
もしかしたら瞑想に没頭できている時、生きてきてこの上ない心地よさかもしれないと思うこともあります。
だから一度瞑想をはじめてしまった人はやめられないのだと思います。
体験や手法はそれぞれに違うとしても、瞑想は素晴らしい経験です。





私は昔クンルンネイゴンのワークショップではじめて「量子力学」という言葉を聞きました。
最近は動画でも「量子力学」を説明している人々もたくさんいます。

人間の持つ生命エネルギーも磁力であり、波動、振動、周波数であり、目にみえて存在するすべてのマテリアルもすべて素粒子エネルギー、波動、振動であらわすことができると説いています。
自分の簡素な解釈ですが、瞑想をしていると、全てが素粒子であるという感覚は、科学的に量子力学を理解できなくても、身体で実感できるようになります。


自分の中に立ち現れてくる思考は一体どこからやってきたのか、その思考をいつから身につけたのか、頭に浮かぶ思いに気づいては手放します。
すべてがエネルギーだという理解が深まると、他者との比較などただの思い込みにしかすぎないとわかります。
なんて思い込みの多いことかと驚きます。


その思い込み幻想が私たちの意識をこじらせ、ストレスを作り、生きることをとても困難にしているようです。

思考を手放していくと自分の内側とのつながりが深くなっていきます。
 (許せる範囲で )忙しさから離れ、人間関係やストレスから手をはなし続け、内側に集中していくと、静けさが増して行き、誰にも影響されない自分自身に戻っていくことができるようになります。
外側にあった興味の対象は少しずつ減っていき、自分の中心を取り戻していくと、
「何もないから座ろう」という時間が増えていくようになります。




何もない、
何も意味がない
あなたもいない
私もいない






話は逸れますが、
私自身がたびたび感じているのは、自分の過去生の記憶さえとても曖昧で、
私たちの霊魂が素粒子であるならば、霊体は肉体を抜けた時にひとつの塊ではなく、全体性へともどっていく。一つの生命を終えるその都度に、粒子になって、細分化され、分波して、次に一つの霊魂として生まれてくる時には、
色々な霊魂が分波して混ざり合いながら一つの肉体にまとまって入るのではないかということです。
一つの霊魂が昇華されて、またそのままもどって一つの肉体に入ることよりもリアルに思えるのです。


例えば、前世でアリストテレスだったという記憶がうっすらとある人が世界中に何千人、何万人もいたり、ブッダだったという記憶を持つ人が何万人何億人いたりという分霊現象があるのではないかと思うのです。

もしもそうだとしたら、自分のいま宿している魂は融合体であり全体でもあったのです。
その中には色々な記憶の粒子が混在しているから、
その記憶を沈め清めていく。
これは私が感じていることにしかすぎないのですが、、、
いつかこの答えをどこかで教えていただけることがあるかもしれません。








瞑想には心身に様々な良い効果をもたらす作用があるため、瞑想をする人は増えているようです。
ヴィパッサナー瞑想センターも新しく宿泊所を増やすのだそう。

瞑想をはじめると、心が安らぐ、ストレスから抜けられる、落ち着く、集中力が高まる、安定する、自分を取り戻せる、食べ過ぎ、飲み過ぎを抑制する、アレルギー症状の緩和や、時に腰痛や生理痛、肩こり、鬱や不安症、精神疾患の緩和にも役立つこともあるそうです。

言われてみれば、私も瞑想をはじめてから風邪を引くことがなくなり、20年以上風邪を引いていませんでしたし、熱が出たのはコロナの時だけです。

子供の頃から瞑想をすると、集中力が高まるので才能を発揮しやすくなるとも言われていて、海外では、瞑想を授業に取り入れているところも増えていると聞いたことがあります。
日本でも瞑想やヨガを子供たちの授業の必須科目にしてほしいですし、刑務所でも瞑想を日課にするといいのではないかと思うのです。
そうすれば、世の中がややこしくなることも減っていくのではないでしょうか。




気張りを浄化してはがしていくと、社会一般的な多勢の流れからは少し(自然に )逸脱し、静けさがまし、なにからも自由であり続けられるようになっていきます。
いつも固まりからスッと抜けるような感覚。
多勢から抜けたからといって、他者に迷惑をかけたり、陰謀論とか外側の論調に同調することもなくなっていきます。

何かにとらわれている意識が消えて、
本当に自然な自分自身がわかるようになります。
本当の自分自身は自分の周りの他のどこかにはありません。



この間動画で聞いたのですが、「頑張る!!」「がんばろう!!」というのは日本にしかない言葉、意識なのだそうです。


おもいうかぶすべてが思い込みであったと気づくと、
全部何にもないというところへと徐々に誘われていき、気張りや欲が剥がれ落ち、自然が何よりも素晴らしいということになります。


この間は寝ている時に棺桶に入ってみました。そしてそこから出ていくということをしていました。
ただ意識だけがひろがっていました。



ただ何もない。
ただ今という瞬間。

「今」だって手には取れない。
あっ今がすぎた。
実は「今」さえも本当はないのかもしれない。



何よりも「ぜんぶうそ」と思うと、それは魔法のようで、気持ちは楽にしかなりません。



























 

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