介護18


田舎に滞在していた数日も、ほとんどの日が雨で、家の中でできることをして、都内にもどることにした。いつもなら、道路が混んでいる時間を避けるため、夜遅めの時間に行ったり来たりするのを好む旦那さんだが、その日は「立ち寄りたいところがあるから早く出る」と言いお昼に田舎を出た。車を走らせてしばらくして、母を預けているショートステイ先から連絡が入った。「急な連絡ではありませんが、〇〇様の朝の食事は3匙しか召し上がっておらず、酸素飽和度が71%、お昼頃に再計測すると86%。看護師から、ご家族さまに、救急車を呼んだ方がいいか、至急迎えに来ていただくのご相談のご連絡です。」

いつも連絡がある場合は、「急な連絡ではありませんが」からはじまると、「便が5日以上出ていないけれど、薬を足しますか」など、そう言った細かいことを正確に伝えてくださるので安心しているが、今回はけっこう急な連絡だった。緊急な容態の様子だったので、救急車をよんでいただくようにお願いしたが、その日はちょうど施設の職員さまの数が足りず、「ご家族さまの付き添いがないと、救急車を呼ぶことができません」と言われた。
「家族は今車の中で一緒に行動しているので、あと3−4時間はかかる」と伝える。
普段であれば職員さまの付き添いで病院にいけると思うが、「今日は人が足りず病院に付き添うのがむずかしい」と言われた。私は「とにかくあと3−4時間で着きます」と言うしかできなかった。それから数分後「職員さまが同乗していただけるので、救急車を呼びます」と折り返しの連絡をいただいた。
施設には、緊急病院の希望は、普段乳がんを見ていただいている別の大きな病院に指定していたが、いまの母の容態では、点滴をして、食事形態で様子をみてしばらく安静にすることしかできないだろうと思い、ならば私が毎日何度も通える家から徒歩10分15分の病院に希望を変更してもらいたいと伝えた。母はそれから入院となった。救急の日、9月9日に母は救急車で運ばれた。

ちなみに、高齢になると、病院でいざ何かするとなっても、「吸ってください、吐いてください」という医師の応答に正確に呼吸ができないかぎり、大がかりの措置はできないということが、過去何度かの病院通いでわかったし、高齢者は自然に老いていくのが適切だとおもい、無理な手術は、兄も私も望んでいない。

介護職員さまが、「急な連絡ではありません」とおっしゃったのは、多分責任者の方が中国の方だったからだと思う。そして付き添いをしていただいたのは、いつもおだやかな多分ベトナム系男性職員さま。救急車から病院に入ってからも確認のために、とても丁寧に何度か連絡をいただいた。

介護職員さまも外国の方が増えているが、日本語堪能で、薬の名前から何から全て把握しておられ、この施設で働いている外国の方は皆エリートなのだと思う。
ただ、時々イントネーションやアクセントがちがったりして、こちらの受け取り理解がちがうこともあるが、それは仕方ない。人手不足の時代になり、海外の方にお世話になり助けていただいている。日本人が日本人だけで作っていた日本らしさはすでに消えたのかもしれない。できれば日本らしくあり続けてほしい。けれど、仕方ないことだと思うようになった。すでに、日本というよりも、アジア圏と感じることがふえた。もちろん厳しい入国規制が必要だとは思う。

母が救急車で病院に運ばれたと男性職員さまから連絡いただいたあと、すこしして、空にとても大きな虹が出た。こんなに大きな虹をみたのは久しぶりだった。旦那さんの意向で、いつもより早い時間に田舎を出て都内に向かっていたことが良かった。

父の葬儀頃、コロナだったこともあり、急遽母を田舎の施設から連れ出し、東京に住むようになり、田舎に住む兄家族と、東京にすむわたしとのあいだには距離ができ、仲がいいとは言えない状態が続いていた。私の中には、ずっとちいさな嫌悪感がきえずに残ったままだった。唯一手放せなかった嫌悪がこれだった。けれど、もしかしたら、これで母もいよいよか、、、と思い、旦那さんのラインで繋がっている兄家族に「母が入院した」と連絡を入れた。

そして病院について、看護師さんといろいろな手続きに時間がかかり、まずは自宅に母の入院に必要なものを取りに行って、再び病院の母のもとへ。入院してすぐに点滴を打ってから、酸素飽和度も96%に回復し、血圧も熱も平常に戻っていた。顔色は思っていたよりも良かった。
すぐに東京に住む姪っ子次女から連絡が入り入院2日目のお昼に病院にきてくれることになった。姪っ子長女、次女ともに、同じ時期に年子で2人目の子供が生まれたばかりで、1歳と生まれたばかりの子供がいる。次女は在宅ワークの旦那さんに子供をあずけて、ちょっと家をあけて、バァバに会いにきてくれた。

そのあと姪っ子次女と別れて、いろいろ用事をすませて、再び足りないものを持って、病院の母のもとに行くと、ちょうど同じ時間帯に兄夫婦に遭遇した。兄が母のベッドのもとに急にあらわれておどろいた、私の中では、今までの小さなわだかまりが、ぱかっとハズれた。 (兄はどうだろう )。「あっ、このためか、、、」とただそう思った。兄に「2週間くらい入院だって」と話し、母に「お母さん、今日はお兄ちゃんもママもきてくれたよ、すごい日だね」とてと握って頭を撫でながら話しかけた。

「1階の待合室に姪っ子長女もきていて、1歳と0歳の子供が一緒だから、母の病室まで上がってこれないので、兄嫁が母とあってから入れかわる」と教えてくれた。
兄嫁も姪っ子長女も看護師さん。兄嫁は田舎の施設で長年働いていて、かぞえきれない高齢者の見送りをしてきたので、母の容態をみれば、今後どうなるかすぐにわかったと思う。

兄と兄嫁は母に会うのは久しぶりだったので、私がいない方がゆっくり話せるだろうと、私は早々に病室から出て家にもどることにした。1階の待合室にいた姪っ子長女の1歳と0歳の子供にも挨拶をした。
旦那の携帯から、母の入院をラインして、次の日に、姪っ子次女は都内から、兄と兄嫁は伊豆から、姪っ子と子供2人は三島からきてくれた。母もその日には、とつぜん、つぎつぎとなつかしい家族がたくさんきて、そうとう力になったと思うし、驚いたのではないかと思う。
2日目には、入院時よりさらに顔色が良くなっていた。

その日の夜、夢の中で兄の声がした。
「お袋も病院では行けないだろう。多分家にもどってから行くんだろうな」という。ということは、退院してから私のみとりでなくなるということか、、、。そんな風に思って目が覚めた。









 

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