ゼロに戻ってから、はじまったこと。
それは、日常の動作を集中してただ繰り返すこと。没頭。
↓
時々頭の中に雑念や不安が入り込む。
精神的に仕上がってみえても、隙間から色々なネガティヴィティが入り込んでくる。
生きている限り永遠に終わらない業 (ごう )。
はじめからやり直しになるようなこともよく起きる。
けれど、ネガティヴィティの観察と浄化こそが霊的成長の役に立つ。
ネガティブ波動に心から感謝。
↓
雑念に揺らされながら、雑念をよく観察し続ける。
丁寧に浄化をしていくとまた空になる。
観察と浄化。これに尽きる。
↓
そうしているうちに、「私は何者でもない」ということをますます強く感じるように。
↓
「何者でもない」と感じるようになってから、
普通の日常に、深い感謝が絶え間なく起こるようになった。
↓
寝る前にヨガと瞑想をして、自分を空に整えてから寝る。
早寝早起きが身についた。
これは年齢のせいかもしれない。
最近家での食事の中で、天ぷらや揚げ物が増えていたことに気づき、食べ物を見直した。
エドガーケイシーの方法が自分にあうかどうかわからないけれど、試しに大雑把にそうしてみる。
葉野菜と果物を多く取るように心がけていると、体内がアルカリ性になり内臓が軽くなった様子
家でも水筒に水を入れて持ち歩き、水分の量を増やす。
↓
何かのきっかけに、雑念がモヤッとわき起こり不安が押し寄せる。
よく観察をする。
小さな感情をいちいち言葉にすると、一瞬の小さなモヤっとが
まるで大きな不安として作り上げられてしまう場合もある。
私は子供の頃から言葉のない世界がとても好きなのだ。
↓
雑念ー今度は怒りがわく。
みぞおちがムカッとして、そのムカッが縦に深く入り込む。
同時に頭の上までつきあがり、キッとなる。
他者をしめだすような感覚。
怒りは自分自身の身体に負担をかけていることが観察によってよくわかる。
こんな風にモヤっ、キッ、ムカっという感情があると、
オーラの中には黒ずんだ重たいエネルギーがどんどん溜まる。
やがてそれは身体の中で病や腫瘍になる。
黒くモッタリしたエネルギーを体内に残さぬように、
日々エネルギーをその日中に浄化、瞑想をする。
誰かの言動によってこんな風に自分の感情を動かすのをなるべく少なくしていこう。
よくよく自分を観察すると、明らかに自分の中心からズレている。
他者の放出した過去のエネルギーの方にひっついてしまっていた。
エネルギーを観察すると、感情のもつれやズレが自分の身体に良くないことはよくわかる。
観察して浄化をする。
怒りやイライラというのは、自分の中から湧いてくる感情。
他者との摩擦によって、自分の中にもともとあったものが引き出され、
ただ沸き起こっている。
自分の状態への怒りかもしれないし、記憶の中に放っておいたものかもしれない。
それほど大げさなものでもない。
それでも他者への怒りであると思う時、それ以上他者にからむのはやめよう。
誰かの怒りに絡めば絡むほど、自分のエネルギーをよくないことに向けて使い、
それは必ず自分の中に戻ってきて溜まって行く。
だいじなのは、自分の中心からズレていることに気づくこと。
自分の中心に戻り、よく観察すること、浄化することの方に時間をかけたい。
↓
ドロドロ ?イガイガ ?プライドやエゴ ?神経質 ?モヤモヤ ?モッタリ ?グッタリ?
ドンヨリ ?
などその時々色々な重たさやよどみを感じる。
それは全て自分の中にある過去のもの。
今浄化するべきエネルギーが浮上している。
ただそれだけ。
↓
「私は今までこんなものを抱えていたのだ。それを他者を通して見せてもらえた」
ありがとう!!感謝。
怒り=感謝になる。
丁寧に浄化するとどんなことも間違いなく感謝にたどり着く。
整える。
そのために静かな時間を充分に取る。
↓
怒りや不満は、無知からくる「理解不足」からやってくる。
生理現象で、抑えられないこともあり爆発することもある。
そういう時には、爆発させてしまったことを素直に謝る。
素直に謝れる自分がいる時、まだ大丈夫という確認になる。
何があっても絶対に謝れないという時、それは要注意です。
↓
度々感情的にならなければいけないような状況からは
退散する勇気を持つ。
↓
怒りが感謝に変わるまで時間をとって観察をしていく。
◎静けさの中で充分にひとりの時間をとって感情を整える時間が大切。
他者の繊細さや、理解できなかった一面をふとしたことで理解できるようになる。
ここをじゅうぶんにやらないと、不安症、躁鬱、アル中甘中、、、などになる。
↓
一人の時間をたっぷり取る習慣ができると、自分自身の中にシンとした
静けさをおびるようになり、心は満たされはじめる。
◎心を満たすために
浄化、瞑想は自分の中心を感じるためにとくに大切。
じゅうぶんに自分を癒す。
古いエネルギーのからまりを解くことが大切。
↓
いかなる時にも自分の中にいるということを繰り返し鍛錬する。
「たんれん」がとても好きになった。
日々の小さな「たんれん」が自分をつくる。
外の情報や外の物へ放出しすぎていたエネルギーの無駄使いに気づくようになる。
けれど無駄使いもたまにはいいもの。
外に向かうー動くー内省するー浄化する
「外ー内」をシンプルに自分のペースで繰り返すことで健康的な日々になる。
↓
何者でもない、けれど唯一無二の幻想のような自分を生きることの奥深さに触れるように。
↓
死。生き物はいつか必ず死んで消える。日々日常的に死を意識するように。
↓
幻想。この世の全ては幻想のようにただ存在を繰り返す。
↓
その幻想を理解した時に、本当に覚醒したと言えるかもしれませんが、
あっわかった!!という一過性のヒラメキではなく、
覚醒には無限に小さな階段があるようです。
↓
使命それ自体も幻想のようなもの。
汚れをふき、みがく。
お借りした魂を死ぬまでに、自分の方法でできるだけきれいにみがいてお返しする。
↓
夜寝ている時に降りてきたメッセージ
◎たましいのより奥にあるものを体験するには、
浄化 & 全てをただ経験する。
浄化あってこその経験。
恐れることなく堂々と本来の自分自身そのものの経験をすること。
大きいとか小さい、何かを成し遂げる、失敗と成功、
外観的にはそういうことになる場合もあるし、
そうならない場合もある。
それはたましいにとってはおもっているほど重要でない。
それよりも
どういう風であれ。自分自身を生き抜くことに没頭すること。
ただ今そうするという経験に集中していく。
経験の中に苦痛が生まれる。
浄化することが生まれてきた目的のひとつでもある場合、
苦痛は業 (ごう )のあかし。
身体の中心を奥に上へ、いさましくのぼっていくように、
本当の自分をただ集中して経験していく。
とてもシンプルに重要なこと。
コメント
コメントを投稿