介護-11




先日、実家でふたたび柏の木の枝きりをしました。 (写真は都内公園の木 )太い枝を切り落とすと、残った木の幹からドバーーッと樹液が噴水のようにあふれでました。こんな経験ははじめてのこと。おどろいてしばらくその溢れ出ている水をながめ、木の上でポカンとしてしまいました。あとでよくみると、切り落とした樹皮の中は土のようにドロドロと腐敗していました。木に詳しくはありませんが、老木のため、雨水を吸収しきれずに、内側に水がたまり続け、樹皮が腐ってきたのだと思います。人も老化して水分を消化しきれずに肌が乾燥しだすのだろうか ?と思ったり。。。老木の木ぐされを防ぐためにも、なんとかあと2本大きな切り株を落とそう。

介護6年目。以前、介護10年目の人が何度か目の前にあらわれる現象があったので、もしかするとわたしも10年コースになるのだろうか ?と。3年くらいだろうと思っていたのに、そんなに長く続けられるだろうか?と思っていた不安はすこしずつ消えて、自然と覚悟がそだってきました。若い頃の10年は、感情の波が激しく物質的な刺激におおわれた毎日で、長い年月だったように感じますが、今では静かな日々の生活に追われ、10年あっという間の感覚です。瞑想のおかげで、日常でも外部の刺激にそれほど依存することがなく、充分幸せを感じるようになり、すこし忍耐強く、静寂を好むようになってきました。けれど、小さな母の身体を毎日何度も支えて動かしていると、自分の身体はじょじょに支障をきたすようになりました。

介護疲れで、もうろうとしていたある日、「もう無理することもない、母をみることに執着しているかもしれないし、母の介護を手放してもよいかもしれない」と思いたち、距離のできてしまった兄に「母を田舎の施設にもどしたい」という旨を手紙で伝えました。でも、手紙を書いて自分の思いを出しきると、それまでの辛さが消えてしまい「まだがんばれそう、田舎の施設に母がもどったら自分で面倒みることができなくなり後悔するのかもしれない」と思いなおしました。そして、兄に、再び「やっぱり大丈夫」と伝え直します。これを2度繰り返してしまい、兄から「あなたの言ってる意味がまったくわかりません、母の気持ちを考えたことがあるのか」と返信がきました。 (笑)確かにおっしゃるとおりです。兄のように、社会の中で長年真面目に生きてきた人が、わたしの自由気ままな変化を簡単に受け止めるはずもありません。ただ、「母の気持ちを考えたことがあるのか」が心に深くひびいて、それから母の気持ちをあらためて思うようになりました。体力的なしんどさをのぞけば、気持ちに余裕ができはじめ、母を迎えたころのわけのわからないつらさや、排泄するタイミングが悪い時の母に対してイラついた自分の気持ちを、冷静にふりかえるようになりました。わたしが母の面倒をみたいというだけで、母は理由もわからずここに連れてこられたのに、なんてひどい態度で母に接していたのだろうかと、懺悔の気持ちで猛反省しました。ようやく母と一緒にいる貴重な時間に心から感謝を感じる余裕が生まれ、母のあらゆる側面に対して優しく接することができるようになりました。人に優しくするということは、本当はどういうことか。長い間働いていて、外面をよくみせなければ仕事ができないと思いこんできたことと、本当の優しさが曖昧になっていたように思います。母の介護を通して、表裏一体の有り様について考え直すよい機会になりました。


今ひとつ思ったことは、早く気づいて40代50代に介護資格を取得しておくとよかったと。介護資格を取得している人が親の介護をする場合は仕事として認められてお金がもらえるのだそうですよ。介護6年してようやくそういう気持ちも芽生えたのですが、私の場合にはすでに時遅し。もう少し人生を客観的にみることができていたら、将来役に立ちそうなことをもっと学んでおくとよかったな。

介護の仕事をしていれば、それぞれの状態をみればこのあとこうなってあーなって、、、と言うことがだいたいわかるのだと思いますし、病気で入院していればお医者さんから話を聞くこともできるでしょう。わたしは介護初心者なので、高齢者が一体どんなふうに老化していくのかがわかりません。旦那さんが5年前に撮影してくれた母の動画をみると、いまの母はかなり衰えたのを感じます。ケアマネさんに何気なく聞いてみると、「みんな寝ている」と教えてくださったので、寝る時間が増えていくのだと思います。今は返答もあまりできなくなり、話したいことがあるときは、意味不明なひとつの単語のみを発したり、返事をしたりする程度。ときどき「ありがとう」と言います。こちらが何を話しているかはまだわかるようで、調子がいいと笑顔でいろいろと話そうとします。朝もお昼も夜も食事をしたあと、起きている時間は2時間。寝ている時間が増えています。

食事は自分でできなくなり、食べ物も小さくきざまないとノドに引っかかるようになりました。そんな状態になっていても、凄いなと思うところは、魚を食べるときに、とても注意して骨を全部とって細かくして食べさせても、自宅だと、小さな骨を見逃してしまっていたりします。母にはその骨を口から出せるようなしっかりとした意識がまだあるのです。

クリスマスは、しどく抜き中で体調がよいから、ケーキはやめようと思っていたのですが、母がいるので、雰囲気だけでもと思い、ホールケーキではなく、ショートケーキを食べることにしました。それでも母には1個だと量が多そうで、半分は次の日にしました。母をテーブルの前にすわらせて、半分のケーキをお皿においたまま洗い物をしていました。しばらくして、テーブル前に座っている母をみると、母は手は使わないままケーキを食べようと思ったらしく、車椅子から90度、上半身が前にたおれ、顔がショートケーキの目の前のテーブルにひっついて起き上がれなくなっていました。まだ、食べる意欲がそれほどあるのだなと思いました。ただ、脳はゆっくりと時計の針が進むように老化しています。母の自然な老化をみていると自分たちの生命の老化も感じます。

高齢者になると、環境を変えない方がいいとか、負担をかけないようになど、過保護に扱うようになりますが、ある程度環境に変化があって、それに順応していくことで内なる力が生まれてくるようにも思い、ショートステイの選択は、とてもよい選択だと思ってます。介護はなによりも旦那さんの協力がなくては考えられないことでしたし、母の生きる気力を長引かせてくれている旦那さんに感謝しています。




 

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