介護21/介護という霊的なあらわれ
写真はスパイラルでの6回目の山崎美弥子さん個展の絵画。
+++
退院してからの母は、食欲がくおどろくほどへった。お尻に床ずれができないように、毎日2時間ごとに向きを変え、朝昼晩は3回起こして、車椅子に移動して食事をするが、食事中に口を開くことはすくなく、無理やり、指とスプーンで飲み物、食べ物を口にすりつけ、おし込むことが増えた。水分量は一日で150-200cc程度。
一番食欲があるのは、明け方や朝早い時間の喉がかわいて口をあけて寝ているとき。母が口を開けて寝ているのをみると、喉がとてもかわいているようにみえるので、そこにスプーンで、OS1を少しずつ流し込む。すると、ゴクんと音がする。これを繰り返すと、150ccくらいは飲む。思いがけず、こういう時には、まるで、スズメの子供が餌を欲している時のように、なんども口をあけてくれるのだ。しばらく水分を入れて、その後冷蔵庫から、いそいでアイスクリームをとり出して、スプーンですくって口に運ぶと、口が動き、歯が動いて、また口を開ける。これを繰り返す。まだ噛む力もあるし、飲み込む力もあるのだ。胃腸もゴロゴロと音をたてている。母は胃腸が丈夫で、毎日すこししか食べてないのに、3−5日に一度は順調に便が出ていることに驚く。
最近母が好むのは、アイスクリーム、プリン、ヨーグルト、 OS1、漢方にはちみつを混ぜたもの。その他に、処方されるカルシウムと、1錠のムコダイン (血圧の薬 )はなんとか摂取している。もうおかずの味がするものには、あまり口をあかなくなってしまった。今日は朝早い時間に、プリンとアイス。夕方寝ているときにも、口を開いていたので、 OSゼリーを何度か含ませたあと、ヴィーガンアイスとプリンとヨーグルトをたいらげた。もしかしたら、入院疲れが取れて、食欲があがってきたのかもしれない。夜はいつものように、孤独のグルメを観ると、母のだいすきな刺身の回で、母も食欲が出たのだろう。久しぶりにおかずのゼリー、ゴボウ煮をすこしだけ食べた。退院してからは、自宅でどんなにがんばってゼリー状に調理しても、食べなくなってしまった。入院中16日間毎日点滴をして、ゼリー食を食べていたからか、味覚がすっかり身体の悪いものに慣れてしまったのかも。食べてくれればもうなんでもいいと思う。
今まで長い間の瞑想中、第4チャクラに集中すると、胸の奥にあたたかな静寂を感じることができても、日常では、外界の騒がしさに気を取られるばかりだった。日常で、瞑想と同等の静寂を感じるのには、田舎で過ごすような、しずかな環境が必要だった。それが、ここへきて、母の介護にまっすぐ向き合うと決めたことで、不思議なことに、外界への心のざわつきが消え、毎日静寂を感じられるようになった。
コロナの時、「原初に戻りたい」と思ってから、母の介護をしようという気持ちがわき起こったにもかかわらず、いざ介護をしてみるとしんどくて、ショートステイを利用しながらなんとかバランスを取り、あっという間に丸6年すぎた。母がおとろえて、自分で表明した在宅介護に集中することになり、胸の奥の、魂の静寂コンセントがカチッと接続したことには、自分でも驚いている。母の介護が、外側のざわつきをしずめ、内側をこんな風に変化させる意味を持つとは思いもしなかった。
誰しも、年をとるたびに、何かのきっかけに、何かを手放し、外界のざわめきから、じょじょに距離をおきはじめ、自分の中心にもどっていく感覚があるだろう。わたしにとっては、魂への最終接続のあらわれは、外側のあらわれでは、母の介護だった。介護というと、現実では、いかにも嫌なもの、「施設に入れればいいのよ」という表現になる。わたしも、母の介護をするまでは普通にそう思っていたし、いまでも決して人にはすすめない。げんに、母も父も、両親の介護をしていないし、親戚も自宅介護をしていた人をみたことはない。けれど、コロナの時期に、原初をたどっていくと、「弱くなった家族をいたわり、死へとおくりだすのは、あたりまえの所作であっただろう」と思ってしまったのだ。物質主義の世の中になって、いたわりの心は悪魔に売りわたされてしまったのだろうか。とはいえ、わたしも、現実ではお金はそれなりにある方がいいという気持ちはあるし、その欲を普通に受け入れている。
正直、介護は楽しいものではない。つらくて、「いつまでやればいいの ?お母さんいつまで続くの ??」という気持ちは、四六時中わいてくる。
でも、本当に浄化されつくすとそれが消え、ただひたすらにいたわりになるのだろうということも感じはじめている。だから、母の介護をすることで、自分の中に住み続ける物質界でしみついた悪魔を、できるだけ浄化をさせてもらっていることを常に感じ、介護をしながら、自分の内側をいつもゆるやかに見張っている。
身体と魂にしっかり接続されて、これから、あらたな気持ちで、10年20年かけてすすんでいく。自分の生活のあらわれは、外にしずかな変化としてみえてくるのだろう。
+++
具体的には、数日前に、瞑想をしている時に、胸の奥にカチッとたしかな接続がおきた。それ以降、日常でも静寂を感じられる自分になった。
それからは、瞑想中、「感謝」という文字が何度も出てきた。ここまでは度々起きることだったから、「わかりやすい」としか思わないでいた。
そのあとに、思いもよらぬ「神人合一」という漢字が、はっきりと胸の奥に何度も浮かび上がり、身体に染み込んだ。
「どうかわたしの中から、完全に悪魔を追い出して、神さまのお仕事を一緒にお手伝いさせてください。」
昔、スピ系の学びをしている時期に、自然に、何度もこの祈りがあふれでてきたことがある。
その思いが、母の介護をとおして、再び螺旋をめぐってやってきたのだ。わたしの進んでいる霊的な成長の段階には、母の介護があったのだ。こういうことだったのかと、ようやくその意味を理解できた。

コメント
コメントを投稿