2025年これからのこと
ヴィパッサナー瞑想を10年以上しているにもかかわらず、いまになってハッとこの真理を感じ取ることができました。ありがとうございます。
人生のこり3分の1 ??というところにきて、だんだん心の汚濁が消えていくというのは、
それなりに目的にかなった人生なのではないかと思うようにもなりましたが、まだまだ先へ続きます。
今後も自分自身に向き合う楽しみを味わっていこうと思いながら、ここまで導いていただいたすべてのご縁に心から感謝しています。どうもありがとうございます。
ヴィパッサナーの講和を聞くと、心の汚濁は誰にでもあるものなのだそうです。
すこしのきびしさを持ち、冷静に客観視する鍛錬をしていけば、現実がどうであっても、
誰でも、自分自身に対する信頼を生むことが可能です。
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2025年これからはどんな年になるだろうか、、、と浮かべました。
これから先、手を放していく、執着をはなす方向に進むと、
多くの人は自然に自給自足の道に入っていきます。もう移行している方も増えてきましたよね。
でも、早いからいいとか、本で読んだとか、どうとか人と比べずに自分の中で、タイミングを決めていくことでしか自分の人生を歩めません。
それを想像して準備していく。この準備期間もそれぞれですが、数年あると思います。
金銭的にものすごく余裕があれば、火星に住む夢をみたり、いままでの物質次元にしがみついて生きることも選択できると思いますが、はたしてそれがどんなエネルギーの集合体になるでしょうか。
というような、2つか3つの道。
自給自足と言っても、これまでもそうであるように、それぞれの方法、あり方になっていくのでしょう。
もうひとつ別に、わたしは2025年には「自由な創造」という世界をつくりました。
自分自身を観察し、心の汚濁を浄化していくと、本来誰にもそなわっているテレパシーや霊力によって想像したことがシンクロに導かれて現象化を起こす世界です。
それぞれの創造する世界の違いはありますが、浄化に専念し、自然にすすんでいけば、世の中の汚濁に繋がるような現実を作らない方向に導かれはじめます。
2025年で一番重要だなと思うのは、自己観察と浄化への集中。
どれだけ自分自身と向き合うか。
そのため、瞑想する人がこれから2−3年でまだまだ増えていきそうです。
ヨガが流行したように。
結局突き詰めると、自分自身が自分の教師になっていきます。
自分で自分の面倒をみていく。
そして究極的には、それさえも意味をなさなくなる。
自分自分自分という意識もジョジョにうすまり、
究極的にはいつかは消えていくという経験をしていく。
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