自分を育てるセルフケア/才能を読む3
写真は最近よく聞いている CD。
母を施設にあずけて、旦那さんは出張で、
じつにひさしぶりに都内でひとりの時間をすごすことになった。
就寝中、顔の真上で英語で男性の声がした。1軒やなので上に人は誰もいない。
なんと言っているのかわからなかったが、単語一言でだれかに話しているようだった。とても怖かった。そのせいか、次の朝はすごく早く起きた。 gmailをひらくと、paypalで以前買い物で支払った場所から、さらに買い物の引き落としが2度もされていた。金額は2回で1万円ほどだった。わたしは盗聴能力がさえることがあるので、昨夜の怪しい声と、この引き落としがシンクロした。早速paypalに問い合わせ、その業者をブロックした。
昨日歩いていると、区の情報コーナーの看板 ?に吸い寄せられた。何枚か貼ってあるチラシの中に「デジポリス」というアプリというチラシを見つけた。最近地震も多いし、paypalで不吉な気持ちになったので、このアプリをつかってみよう。別のチラシでは、歩きタバコが禁止にもなったという情報。昔あるシンクロが続いたことで、ゴミ拾いにみちびかれ、いまでもその気になった時には、ごくたまにゴミひろいをする。それで気づいたのだけど、道路にはタバコが1メートルおきくらいに捨てられていて毎回驚く。おかげでタバコのゴミをひろうと受動喫煙になってしまうほど。タバコを吸わない人にとっては、歩きタバコ禁止はとてもいい。
話はかわり、スレッズで見知らぬ方が勧めていた本を3冊衝動買いし、3冊目を本を読み終わった。3冊とも30代の女性が書いた本で、3者3用に哲学を感じるところもあって、新鮮で読みやすくて面白かった。感謝。
最後の本は、「ほんとうのことを書く練習」土門蘭。著者は昔から死にたい願望が強かったらしく感情の激しさが表紙の赤と黒にあらわれていた。著者とはレベルがちがうだろうが、わたしも若い頃は理由のない辛さに日々おしつぶされて、死にたいの1歩手前くらいの心境はよくもあった。著者は書くことを職業にしているので、書くことについてプロとして向き合う苦しみがあるのを知った。書くことを職業にしている方には参考になるのではないかと思う。わたしは書くことは職業ではないので、気楽なもので、書くことに恐怖を抱えたこともなく、ただ降りてきたことを書く。チャネリングだと思っている。
著者がこの本のはじめの方で一番にすすめていた本で「悪童日記」というのがあって、
名作らしく、まだ読んだことがないので、古本購入した。
数日後、メールでは宅急便が配送済みになったのにどこにも届いていない。この前もそうだった。今までそんなことが一度もなかったのに、2度立て続いて不安になった。宅急便大丈夫か ?とも思ったが、表札がローマ字なので、次から間違えないように漢字も書き足した。
そう思った数日後Xで、宅急便にスーツケースをあずけたら、ビニールも剥がされ、鍵も開けられていたという投稿を見た。他にも同じ被害にあった人がいてコメントが殺到していた。
その情報によれば、人手が不足してしまい、海外の人を雇わざるえなくなってあれているのだとか。大変だ。介護もはじまり、介護用品など、宅急便にどれだけ助けられているかわからないほどだから、あまり悪く言いたくない。みずからも気をつけようと思う。荷物をあずける時には、必ず荷物をみて、「お願いします!」と業者さんに気持ちよく言ってからあずけると、荷物に気が入ってしっかり届くのだ。
頼んだ本は、ようやく配送業者に連絡がついて、いつもとちがう担当者で、ちがう場所に配送してしまったらしく、「直接お手元に届けます」と言われた。「郵便ポストでいいのに、、、」と思った。すると、届けてくれた方のオーラがどんよりとして目が沈んていてギョッとした。
封を開けてでてきた「悪童日記」そのものだった。この本が配送ミスの間違いを運んだような気がせずにいられなかった。旦那にその話をすると、「どうしてそんなタイトルの本頼んだの ??」と言われた。たしかに。でも、これがベストセラーですごく面白い本らしくて読んでみたかったのだ。その本をテーブルにおくと、ものすごくどんよりとしていたので、塩をたっぷりまぜた布でふいた。まだどんよりしているので、早く読んで処分しようかと思うほどだ。
蜂に刺されたり、最近おかしなことが続いている。こういう時に思うのは、好転反応。悪いことのあとにはいいことがやってくる。災い転じて福となる。
生きていれば楽も苦もある。楽しいとか苦しいに感情的にならずに、起きたことを、防波堤から海の波を眺めるように冷静にみていると、自分の修正点もみつかる。そして、事態は過ぎていく。
感情が沸き立った時に、感情の波にはいりこまないこと。誰かとのやりとりで、感情の衝突が生じそうになったら、1歩引いて、自分の感情をしずめ、その状況が過ぎるまで観察する。
わたしは感情で動くタイプだったので、意識的にこの習慣を訓練した。
すると、何事も静かにとおりすぎるようになってきた。そして、その荒波の中に、
自分のやるべきことや修正点がかならず見つかるようになった。
ただ観察し、時間をかけてすぎるのを静かにまつことは、
起きたことの芯にある自分への理解と許容にもつながっている。
母を施設にあずけて、すぐにやりたかったのは、とにかく掃除。掃除は毎日の仕事でもあるけれど、手の届かない場所を全て掃除できる機会も時間もなかなかなかった。ひとりで暮らしていた時には、趣味は掃除というくらい、何もすることがない時には掃除をする時間がとても楽しかった。自分の場所をすみからすみまで確認していく作業にはかならず発見がある。両親が老いて来てから送ってくれた手紙に目を通した。大きな封筒に入った亡き父からの手紙には、「なんとか鳥の巣を送ります。」とだけ書いてあって、鳥の巣の写真が2枚添えられていて笑えた。整理しながら、昔の写真をみたり、昔の日記を読んで過去を思い出したり、読みかけの本をみつけて、これから読もうと思ったりすることもできる。若い頃の旦那さんの写真も出てきた。あらためて旦那さんと家族に感謝の気持ちでいっぱいになった。
久しぶりのひとりの時間が貴重すぎて、朝早く起きて、2日間は掃除に明け暮れ、フラフラになった。
若い頃はとても情緒不安定だったけど、それを克服するために学んだことを日々積み重ねた成果がようやくこの年齢になってでてきたのを感じる。自分の塩梅がわかるようになって、
辛い時、調子が悪くなった時には、自分で自分を立て直すことができるようになった。
周りの人や環境があってこそだけど、究極的には自分を育てるのは自分しかいない。
食も重要なセルフケアの一つ。わたしは、菜食〜しどく抜きを経験して本当によかったと思う。菜食を長年したことで、食べることへの冷静さが身についていたので、し毒抜きでは、さらに心身の健全化への深みへ進んているように思う。外食も自由にできるけど、食べるまえに深く意識する習慣が身についたので、何か特別なことがないかぎりは、家にもどってご飯をたいて、味噌汁を作って、シンプルな和食を食べることを自分自身が求めるようになった。
結果的に、心身に無駄な負担がかからなくなった。
思いついたセルフケアを続けていると、自分自身がさだまってくるし、そのことは結果的にまわりの人にも良い影響になるのではないかと思う。長年心身のために継続してきたことに、ようやく成果を実感できるようになった。
自分の心身のために時間を作ることの大切さにたくさんの人が気づきますように。

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