神社参拝/ストレスホルモンの断捨離


 


以前夢で見た「MMM 三峯神社!!」という胸のチャクラからの叫び。
三峯様が呼んでいる。。。

初めて行ったのは、パッと開いた本に三峯神社と書いてあったのがきっかけです。三峯神社を調べてみると、白い木札守りを浅田真央ちゃんが持って以来活躍するようになったということで、その噂から白い木札を求め三峯神社に行く方がとても増えたのだそうで、芸能界でも有名な神社になったのだそうです。私も正直言って完全なご利益目的で「白い木札」欲しいと思いました。
10年ほど前のことです。
その頃の三峯神社は見たことないほどすごい人でした。友人には、深夜に都内をでないと大変なことになるとききました。三峯神社に行く車の行列が3−4時間先の距離まで大渋滞で、トイレにもいけなくて困りました。
こういう時の神社の空気は、欲で淀んでしまいよくないと言われています。
ですが、友人の助言通りに深夜出発して一度は白い木札を手に入れました。
その頃お仕事がどうだったかはもう記憶にありません。(笑 )
2度目に行ったときには、白い木札に関しての制限ができていました。3度目は、もう白い木札の取り扱いがなくなっていて、参拝者も少なくなっていました。
3度目に行ったときに、お祓いをして、大きな木箱をいただいた折、神主さんに「必ず毎年来てくださいよ」とおっしゃっていただいて、「はい」と言ったにもかかわらず、毎年通ったのはそれから3年。三峯神社はとおいので、だんだんと億劫になってしまいました。
ですが、不思議と呼ばれてしまう三峯神社。
今回も夢に出て来ました。なんと旦那さんも夢でみたのだそうで、2年ぶりに行ってきました。
今まで気づかなかったのですが、三峯神社に行く途中に「縄文式住居跡」があります。
その看板をみたときに、「こんな風に度々強く呼んでいただいているのは、縄文人の精霊、山の神様に呼ばれているのかもしれない」と感じました。


数年前、上野の美術館で縄文展があったとき、展示場に入り縄文土器をみるなり、頭上に意識が昇天したのです。それ以来縄文人のエネルギーのすごさを感じるようになりました。
 (上野の美術館の鑑賞で昇天した経験は、過去に2回あって、もう1回はレオナール藤田の展示でした 。)

年齢重ねると、朝4時おきをして、往復7時間の車での神社参拝は旦那さんもしんどいだろうと思い、「もう三峯様はこれでやめよう」とか「お祓いはもうやめて、お札を返してもう終わりにしよう」と今回は行く前に何度もそう言いました。

神社についてもなお神主さんに「今回は時間もないので、お祓いはせずに、、、」と断ろうとすると、「お祓いはこれからすぐはじまり、15分で終わりますよ」と説明を受け
結局今回もお祓いをして大きな木箱に新しいお札をいただくことになりました。 (笑 )

その後、お札を購入する場所で、雪が残っていて滑って私は尻餅をつきました (笑 )
旦那さんも爆笑。
何度も「もうやめよう」と言った私の完全な罰当たりです。それから、前厄なので、厄落としと思ってもいいのかもしれません。
三峯神社を出るときに、「こんなに守っていただいているのに失礼なことを言ってしまい申し訳ございませんでした」と謝罪をして帰って来ました。
その後コーヒーを飲みに立ち寄ったお店ではコーヒーをパンツにこぼし、家に戻ると、食器が踊るように飛び出たり。精霊たちにいたずらをされているようでした。


・・・
最近数冊読んでいる本の中に、 この間も紹介させていただいた、「あなたという習慣を断つ」があります。この本がとても面白いです。
自分の持っているエネルギーを何に向けて使っているかをよく観察することの大切さが書かれています。

自分のエネルギー量は限られていますし、自然に想像すれば、年齢とともに徐々に衰えます。
その貴重なエネルギーを、毎日 SNSをみて情報処理し、心が動き神経が過敏に反応することに一体どれくらい消耗しているかを切々と指摘していました。

人は毎日決まったことをして、エネルギーを消耗している限り、いくら頑張って変化しようと思っても、記憶の中にある過去に照らしあわせた行動しか取れずにそこから抜け出せずに本当には変われないのだとも。

本当は疲れているのに、その疲れに気づこうとせず、疲れていてもなお頑張ろうとする。
頑張らなきゃ、やらなきゃということのみで物質社会で育ち、その癖を正しいと思い込んでいる状態がストレスホルモンを発している状態。
アルコールや SNS,買い物や会食、他者との関係など、、、ただ外へ外へ向かい本当の自分に向き合う時間が全くない生活。外側に向けてエネルギー消耗をする習慣を良い事だと思い込んでいるとき、ストレスホルモンを放出している。ストレスホルモンはネガティブなストレスを気づかずに世に放出しているので、ゴミを出したり、いらないものを買ったり、食べすぎたり、飲みすぎたりと無駄が多い生活になり、自然保護や環境意識とは遠い生活になる事態。地球のために生きているとは言えない状態。

本来の魂の性質は、自然と繋がり、自己の内面をみつめて、自分とよい繋がりを保ち、静寂の中で内省し自己に集中することを大切にしているのだけれど、自分の呼吸や発している波動にさえも興味が向かない。外に対してどうみてもらうか、評価をもらうかばかりにエネルギーを費やし、疲れに気づかずに、常に興奮している状態。ストレスにさらされて続けることを選択し続けている人が多い社会。働き続け、動き続けること、それに付随して SNSやあらゆる中毒という物質社会。
と、そんな内容のことが切々と書かれていて、自分を本当に変えるには、自分にもっとしっかり目を向けて、静寂の中で、自分を変えようと明確に意図して、自分の行動をあらためて、日々を変えて行くことが大切で、それには、自己内観をするための静かな時間を十分に与えることだとも。

あらゆる情報に夢中になっていると、忙しい人の話が気になりますが、それがどんなに素敵な人であっても他人であり、自分自身ではない。本を読みすすめている最中に、「変わろう !!」と上からストンと降りてきました。

私は現在介護をしながら、「何か他にももっと仕事をしなくてはいけない」という焦りがあったのですが、この本を読み進めている中で、この焦りも物質社会で染み込んだ癖だと気づき、この時期のこういう時間の大切さにも気づき、自分の今に前よりもずっと深く集中できるようになりました。




何冊かの本を読んでいるのですが、瞑想はこれからとても重要になっていくようです。
ヨガがこれだけ盛んになった後は、瞑想ですよね。
瞑想に興味がある方には簡単にできる方法をお教えしています。


この本を読んで、SNSがどれだけエネルギーを消耗するかを理解して、 必要な時以外は SNSを開く気持ちがなくなってしまいSNSを開かずにいました。
数日ぶりにSNSをババーっと眺めると、ものすごい量の情報を、目、頭や心臓の神経が処理して動き一挙に波動があらく変化していくのがわかり、ちょっと怖くなり、必要な時以外は SNSはおやすみさせていただくことにしました。

どんな風に生きて何をどうするかは人それぞれの自由で、何が正しいか間違いかもありません。どう生きても人は人、他人は他人で私は私でしかありません。
私は、心の痛みや苦痛、喜びや感謝を通して、その奥にあるより善く生きるとはどういうことだろうとか、真理って何だろうとか、この世に生まれた目的はなんだろうとか、、、そういうことを考えて学ぶことがとても好きです。
この歳になっても、知らないことがたくさんあり学びたいことがたくさんありすぎて、人生がたりません。












 

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