目覚めの経験9 (瞑想合宿 )

 


「ヴィパッサナー」、、、行くか行かずか迷うことなく、飛び込み申し込みをしました。


千葉にもあるそうですが、私たちは旦那さんと車で京都のセンターに向かいました。

 (ちなみに千葉の方が個室で環境が良いとあとで聞きました。 )


旦那さん:「ついた、ここだよ」と旦那さんが言った後、

私「やっぱり帰ろうか」

外側の長い塀を見たらとても不安になりました。

しばらく、近くの道路に車を止めて、本当に行くか迷いました。

私は、何かを決めるのはとても早いのですが、次の瞬間に「やっぱりやめよう」というのが癖です。まず父もそういう性格なので、遺伝もあるでしょうし、父がとても厳しかったため、何をするのも「ダメだ」と反対され、自分のやりたいことができなかったことも原因でした。これも徹底的になおした癖の一つです。


思いを決めて駐車場に入りました。携帯も PCもない会話もなし、無言、目をあわせてもいけない生活丸10日間。

合計12日間。入り口で、携帯と貴重品を預けました。食堂にも瞑想室にも寝室にも、すべてに男女の境があります。男女各30−40人だったと思います。ともに規則にのっとって行動しひたすら瞑想をします。

寝床は、8畳くらいの部屋に簡素な木のベットがぎっしり6人分おいてありました。

まず寝床に持ってきた寝袋をセットして、身の回りを整えました。緊張でヒェー。とにかく心が浮ついて落ち着きません。落ち度のないようにしなければ、、、と自分に言い聞かせました。

ただ「何があっても絶対に途中で帰るのだけはやめよう」と思いました。

朝5時くらいに起床して、シャワーを浴びて、夜9時に寝るまで、休憩と食事を挟みながら、シャワーを浴びたり、洗濯をしたりして、講義と瞑想のテープを聞きながらひたすらあぐらで座る10日間。



早速瞑想の時間になり、大きなホールに行きました。左側には男性があぐらで座り、真ん中で別れて右側には女性が座ります。

私はそれまで約20年椅子に座って瞑想していたため、あぐらの瞑想がはじめてでした。アマゾンで瞑想用の硬い丸い座布団を購入していきましたが、使ってみると全くあわない。一番後ろでとりあえず柱に寄りかかり、ゆらゆら揺れながら体勢を作るのが精一杯でした。

それにしても、前列にいる方々の微動だにしない、凛と背筋の伸びた静けさのある後ろ姿のなんと美しいことか。。。瞑想20年の経験が、突如ゼロに戻されたような初心者の気持ちになりました。

人生もうすぐ50年経とうとしていた頃、まだまだ未熟な自分を心底思い知り、皆様の微動だにしない静けさのある後ろ姿をただ眺めるだけでも来た甲斐ありました。

どんな時にもマイペースが崩れない (余裕がないから )私は、自分は自分ということで、一番後ろで後ろの柱に支えられながらなんとかあぐらの体勢で瞑想をしましたが、どうしても足が痛くてあぐらをかいて座るのにちょうどいい座布団の高さが見つけられない。あーでもないこーでもないと座布団の枚数を増やしたり、減らしたりしながら3日ほどたち、一番前にいる講師の方に、「なるべく動かないように」と言われ「ドキっ」。

慣れている方々は座布団1枚でただ整然と座っているのにそれができずにそわそわゆらゆら。

4日目くらいだったと思います。

寝室の壁には、「香水、アロマなどを絶対につけないように!!」という張り紙がしてあったのに、その文字を読んでも、なぜかその説明が身に入らず、気持ちを落ち着けるために持っていったアロマをほんの少し手につけて香りを嗅いでから瞑想室へ行ってしまいました。

瞑想室に入ってから「あっ」と、自分がアロマをつけてしまったことにようやく気づきましたが、その時にはもう遅く、ほんの少量だったにも関わらず、瞑想中は感覚が敏感になっているせいもあっただろうか、アロマの匂いがひろがってしまい鼻をクンクンしている人が数名。

「あーまずいことになってしまった。。。」言いようのない罪悪感に襲われながら、座りました。

その時に、「もう一瞬も動かないようにしてください」と言われたのです。

ほぼ90分くらいだったと思います。アロマをつけてしまった後悔、この大事な集中の時に周りの方々にアロマの香りを漂わせてしまい迷惑をかけているという大きな後悔で、歯を食いしばり、顔もぐしゃぐしゃにし、体が痛みで震えていました。動かないように身体を縛り付けるようにただただ耐えました。こんなに耐えたのは小学校のマラソン大会以来のこと。

すると、意識の中で身体の周りにあった古い土壁のようなものが、突然ボロボロダダダダっと剥がれ落ち、頭上からスコーンと意識が抜けたのです。この日はクタクタになりましたが、古い土壁が剥がれおちて、本当にスッキリ浄化されたと感じ、ベッドに横になった時には「本当にこれを経験できてよかった。ここにきてよかった。この年齢になってもなおこんなに素晴らしい経験ができるんだな」と心底感動しました。

この経験を振り返り、自分の不注意で周りに迷惑をかけてしまった未熟さを内観し、浮ついていた心はようやく静まり、この日を境に、ただ用意されていた1枚の座布団でなんの問題もなくあぐらをかいて落ち着いて座ることができるようになったのです。今までも瞑想をしていると、突然浄化が起きることは幾度も経験していましたが、この浄化はとても心に残る経験となりました。

それでもまだのこり1週間くらいあります。ちょうど年末が満月の夜だったと思います。外でベンチに座り、気が遠くなったのを覚えていますが、もう考えるのもやめようと思いました。

年末で寒かったこともあり、風邪をひいたり、様々な理由でリタイアする方もいたようで、人数も減って行きましたが無事に12日間が終わりました。


最後に食堂に集合した時に、食堂が今までの簡素な壁と違う雰囲気になっていて、ヴィパサナーの張り紙がたくさんあって、宗教っぽい勧誘のような香りに引き気味になりましたが、これはインドでヨガなどを経験している人たちにすれば、気にならないのだろう、、、と思いました。結局、行く前の説明通り、合宿は自分の思った金額を寄付するという方法で、他に後から請求されることも一切なく、勧誘なども一切ない安心できる瞑想合宿だということを理解しました。


こういう合宿に行くと、「いくら寄付する ??」とか、自分で決められない人、友達に相談する人がいます。「これくらいの合宿ならいくらくらい ??」とか。

でも自分で金額が決められない時は、自分からいつも意識がずれている証拠です。それは人に聞くことではないのです。自分の心に浮かんだ金額をただ寄付すれば良いのですし、金額が重要なのではなく、人間一人一人が浄化されることの方が地球にとってはずっと役に立つことで、瞑想する意味はそういうことなのだと思います。

自分の中心から意識がずれていなければ、なんでも自分で決めることができます。


無事に12日間が終わりました。12日ぶりの社会復帰練習で、同部屋の人たちと会話をしました。会社員、キューレター、モデルさんなどもいました。特に年末は業界人やいろいろな職種の方が比較的多いそうです。

これだけ深い瞑想を2度3度と経験して行くと、今までの社会生活に変化が起こりはじめて、自然と調和した静かな生活にシフトして行く方々がたくさんいるのだそう。1回であれだけ古いエネルギーのエゴの壁が壊れるのだから、人それぞれの違いはあれど、2回3回4回と行ったら透明人間になるだろうことは想像できます。ただ、まる12日間なので、体力も入ります。

私は瞑想法を教えていただいたので、その後は家でできれば十分だと思いました。



この合宿を機に、家でもあぐらで瞑想を毎日するようになりました。

私は一度しか行ったことがありませんが、もし母の介護が終わった時には、 (いくつになっているかわかりませんし、もしかしたら母の方が長生きすることだってあるかもしれないのですが )まず瞑想しに行って、それから旅行に行きたいなと思いました。

できれば、あと1回は経験したいなと思ってます。

つづく












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