介護のこと/家族のルーツ
石丸さんの再生の道、「国民に政治参加を促す」という目的を果たしすぎていると思う。
どこにも投票するところがないという人たちに向けて、少しでもその受け皿になれればいいなと思って政党を作ったのだそう。
選挙に行く時間はたとえほんの一瞬でも、その時間をどうでもいい気持ちで無理矢理過ごすか、本当の気持ちですごせるかはまったくの別の世界です。
何十万人の人が本当の自分の気持ちを持って再生の道へと投票できる時間があると思うと、
石丸さんには感謝しかありません。
知らない人の方が多いとは思うのですが、石丸さんきっかけで政治討論や他党までもが盛り上がってきた功績は本当に大きくて、政治界から表彰されてもいいほどだと思います。
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ダライラマ法王の誕生日から数日おくれで、ダライラマ法王より一つ年上の母は誕生日をむかえました。
今回はヴィーガンケーキさえも卒業し、母の好きな刺身三昧にしました。
母は、旦那さんがいるときには食後は横にならんで2人で仲良く YOUTUBEをみています。
ふたりは好きなものにも性格にも共通点があるので話があうようです。
旦那さんがYOUTUBEを見ながらマメに母に話しかけてくれるので、
母はそれに一生懸命答えようと言葉を発したり、時に笑顔も。
ケアマネさんに旦那と母はとても仲がいいと話すと、
「そんなパターンを今までみたことないです」とおっしゃっていました。
旦那さんには本当に感謝していますし、旦那さんと母が今世でこうして一緒に暮らしていることをながめていると、過去生に母と旦那さんもご縁があったのだろうなと思うのです。
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前にも書いたことですが、
私は、30歳でクリアサイトでレバナ女史から3年間瞑想とクレアボヤンスを学び、
「自分の使命を知りたい」と思ったとき、レバナから「自分の使命を知るには親を知りなさい」と言われたことがきっかけで、毎月実家に帰り母の話しを聞くようになりました。
それまでも、母とは仲良かったのですが、私は干渉嫌いで、両親との距離は遠かったと思いますし、私から両親の話を聞くことはほとんどありませんでした。
それから長い年月かけてまず母の話を聞くようになり、
知らない間に父が同じテーブルを囲んで私たちの話に入ってくるようになったのです。
そうやって、両親を時間をかけて知ることを深めて行きました。
そのうちに、今までまったく知らなかった両親の気持ちや細かい性質を知ることになり、そこから私が生まれて、私の性質がかたちづくられたことも理解できるようになり、時がたつほど両親への理解と感謝が増えていきました。
そうしているうちに、両親が瞬く間に老いて行き介護施設に入りました。
父はコロナの最中ガンがすすみ、あっという間になくなり、母のいる介護施設には何度も足を運びました。母と別れるたびに胸がしめつけられるように悲しみでいっぱいになり、実家から都内に戻る車の中で大泣きを繰り返しました。
母の親戚の叔母様が施設に入っている間も、母と度々施設に足を運んでいたので、介護施設の暮らしを観察する機会は多かったのです。
そうしている間に私はやっぱり、介護施設に入れたままということに納得がいかず
母の面倒をみようと思ったのです。
母の介護を決めたときの理由を今までうまく言葉にすることができませんでしたが、
この間たまたま 動画でみた「いしいさん家」の中で、
私が母や高齢者に感じていたことをとても上手にお話されているのを聞きました。
https://youtu.be/4ghG4GrInsk?si=KPmCjCjGjUxjrSIC
この宅老所施設はグッドデザイン賞を受賞している縁側のある素敵な施設です。
本当にいいお話で、
聞いていて「ほんとにそうなんだよなー」とただただそう思いました。
https://youtu.be/6V8U9pmhP0I?si=3vIbOprP-E2ya5QZ
石井さん、すごい包容力。すごいアイディアだと思いました。
私はショートステイと介護を交互にして5年目になりますが、
毎回起こして抱き上げるだけで、右足の筋が徐々に痛みはじめています。
私のような身体能力ですと、介護者の体の大きさによっては、
体がボロボロになってしまうかたもいるそうですので、
いくら親の介護であっても無理はしないほうがいいと思います。
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介護をして母と接しているうちに、介護をしなければ感じられなかった
本当にいろんなことを感じることができました。
これはまさに自分がこの世に出てきた入り口の母を知ることで,
自分への理解につながりました。
そして、介護をしていなかったら、
母の両親の名前を知っているくらいがせいぜいだったと思いますが、
介護をして毎日母をみていて、なぜ母はこのような人なのかを日々とても不思議に思うようになり、ますます母をたどろうという気持ちがわき起こり、
導かれるように、母の幼少期に早くに亡くなった実母、そして実母の父のことまで知ることができ、そのルーツにはおどろきもありました。
父が生きている間にはこんなことは思いもせずにいたのですが、
父の母、おばあちゃんのことももっと知りたかったと思いました。
二人が元気な間にもっと色々聞いておけばよかったと思います。
たどればたどるほど、私は私でしかなく、使命はあってないようなものとなり、
ただ私はここにこうしていることが使命、それだけという感じがするようになりました。
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