瞑想と健康 &政治/ただまともになっていく






公明党が連立離脱、そしてもうすぐトランプがやって来ますね。
自民党これからどうなるのでしょう。
すごい局面に感じます。

リハックで無所属の東さんが、自民党は一度解体する必要があるとおっしゃっていたことや、自民党の門さんが、自民党終わるかも、、、とおっしゃっていたこともリアルに感じます。安倍さんの霊能をしていたシンメイさんは高市さんになれば日本が変わるとはおっしゃっていましたが、友人たちは、長野や静岡に引っ越していったとか、、、。以前に、何かある時にはある、一度壊れないと新しくなれないともおっしゃっていました。菅さん政権の時をみても、もし高市さんが総理になれない時には、大災害か地震が起きるかもしれません。本当の浄化の時をくぐらないと新しい日本が誕生しないのかもしれません。政治資金パーティをするに◎しているのは、自民党と国民民主だったような。。。
日本人にも覚悟が必要なときですね。
トランプはどんなメッセージを残していくのでしょう。
保江先生勉強になります。
そうか代議士制度、もう古いのか!?


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ここ最近瞑想がまたすこし進歩した様子。

瞑想/迷走を長くやっていることは自慢になりませんし、「30年もやってたらとっくに悟ってるでしょう」と笑われそうです。私はいまだにイラつくこと、ムカつくこともあります。ただ、瞑想の成果で、すぐに忘れます。ムカついてしまったらあやまります。それに、不思議と瞑想のことは誰に何と言われても気にならないのです。

わたしにも多少わかることは、精神的進歩というのは、自分の意識が微細な部分まで修正され、立て直しが起きるような気づきの経験のことで永遠に結果は出ないということです。

ふとした時に「健康になるために生きている」ということが浮かびました。
健康とは、身体と精神状態が良好、心身ともに「まともな人間になる」ということです。まともというのは、身体が健康で心は静寂不動になることです。私は身体は健康ですが、元気!!ともいえず、胃腸がよわめで、ポリーブができやすいために、3年に1度はイかチョウの内視鏡検査をしています。本当はやめたい。でも念のために。検査前に飲む大量の下剤があり、みるからに身体に悪そうで、ワク、ん、とさほど変わらないような気がします。

皆さん、40過ぎたら、毎年一度の区の検診は受けることをぜひオススメします。高額な人間ドッグに行ってる方もいますが、区の検診は無料です。そして、もし家系にがん傾向があるなら、尿血液便検査は早期がんの発見につながりますし、栄養状態のバランスもよくわかり、食べ物について正しく考えられるようになります。わたしは、肉を食べないので、卵をよく食べるのですが、いつからか、卵の量が増えてしまっていて、去年コレステロール値が標準をほんの少し上回りました。それから卵は1日1個におさえてみると、今年は全く問題ない状態に戻りました。


今の身体状態も問題はないのですが、胃腸カメラ飲んだりしながら、理想の完全なる健全さに思いをめぐらせると、気が遠くなります。それでも、死にいたるまで、できるだけ健全さに近づけるように生命をいただいていると思い、健康に生きようと思います。


瞑想中に、本当に少しづつ、内側に深く入っていくことができるようになり、気づきが細胞レベルに近づいているような気がします。
未熟とは、無知でもあるし、外部からの悪影響を受けて染み付いている恐怖不安不満怒り疑いや勝手な思い込みなどもそうです。

最近のことだと、わからないなりに政治に興味を持つようになったのですが、ネットの中のいろんなヤジを見ると、本当に病んでいると思うのですが、わたしも、画面をとおして、よどんでみえる政治家は画面越しでもみたくないと思います。そんな時には、すぐちがう動画に変えます。政治をみて社会を理解するのも大事なことだと思う反面、ひどいヤジやよくない事象は、なるべくみないほうが良いとも思うのです。でも、まだすこし、社会の淀んでいる現象に興味がひかれていくことも認識しています。本当に浄化されると、外部に対しての興味がもっとうすれていくのだろうと思います。そうなるころには、畑で野菜を作っていたいです。


映像であれ、情報や食であれ、善悪は混沌とし、人が欲望を満たそうとするとたいていの場合は、身体に悪いものや、どうでもいいくだらないことにひかれる傾向があります。例えば、ホラー映画とか、食ならスナック菓子や糖度の高いスイーツ、過度なアルコール、、、、など。無意識に過ごしている長い間に染み付いてしまった毒に感情を操作され、意識をさらに低下させてしまうのですが、そのことにきづかないひとは多いとききます。

無意識を意識できるようになると、細部に気づきがおこり、健全な取捨選択できるようになることは、瞑想の効果のひとつです。細部への配慮という点で、私はまだ途中ですが、気づくたび浄化をしています。

脳の思考や雑念が消えはじめてから、ある程度の意識がしっかりと内側向きになり、内側にいることの重要さに気づくようになりました。今まで使っていなかった細かい細胞にアクセスするような感覚です。

外側社会とのつながりも、刺激や感情的なことはだいぶ遠くなり、無理のない静かな空気に変化しました。今あるのはわたしのまわりの小さな世界ですが、家族の存在からの気づきも日々たくさんあります。例えば、旦那さんと動画でニュースをみているとき、旦那さんの静かだけれど健全な反応から気づきをもらうこともあります。言霊を無駄使いしないことは健全です。母の日々の淡々とした生き様から感じる長きにわたる誠実さに気づき感動することもあります。

「車椅子で身体も動かなくてトイレにもいけないような自分になったら死んだほうがマシ、長く生きればいいというものでもない」という考えかたはたびたび耳にするし、私もどちらかといえばそういう考えでした。
長く生きた、短く生きた、という結果はその人それぞれのことです。短いからダメだということもないのです。
ただ、母をみていると、何もできない状態になっていても、自分の生命に今も誠実に取り組んでいるのを感じるようになり、その誠実さに心を打たれます。私が生命に対して、ダメになったら死んだほうがいいと感じていたことがどれほど乱雑な意識だったかに気づきました。

気づきの面白さは、外側の欲求を満たす行為とはまるでちがいます。静かで味わい深い経験です。気づけば、自分自身の生命そのものをただ生きるという、ものすごくあたりまえのとてもシンプルな日々になっています。

瞑想者が増えているようで、ヴィパッサナー瞑想の施設はきれいに大きくなっているようです。わたしはここ最近は毎晩ズーム参加させていただいています。









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