人も自然の一部です。


 




8月8日に日付が変わるころ車で田舎に帰省しました。

車を降りて真っ先に空を眺めると、
夜空には、もうすぐ満月を迎えようとしている月が
うっすらと雲がかり、
シーンと静かにはりつめていました。

なんともきれいな夜でため息が出ました。

駐車場から玄関までは月明かりで明るく照らされて
ライトも必要ありませんでした。



寝室の窓をあけるとひんやりとした涼しい風が
部屋をいっせいに通りぬけ、
夜はクーラのない部屋で涼しい風を感じながら気持ちよく熟睡しました。

そういえば昨日の日めくりにはモミジの絵が描かれていました。
虫の声も夏のセミから秋の虫の声に切り替わったと
何人かの方がthreadでつぶやいていました。


こんなに暑い中でも、虫は毎年日めくりどおりに、秋を察するのでしょうか。
その暦通りの正確さ、いったいどうやって感知しているのでしょう。


 +++

1ヶ月ぶりに帰省すると、とくにこの夏の時期には
そこら中、雑草もおかまいなくぼうぼうと生え、
細いつるもこの時とばかり、いろいろな木に絡まりまくっています。
毎回帰省するたび、
みてみないふりをするわけにはいかず、
今日も夕方涼しくなってから、
キウイの伸びすぎたツルの枝を切りをはじめると、
次々とあらゆるところが気になり、梅の枝を切り、
雑草刈りもはじめ、終わりがみえずクラクラしました。

雑草には、毎回「もうお願いだからここにはえないで」と
話しかけながら切るのですが、
全く聞く気はないようです。

何度切っても、同じ種類でどんどん広域を
占領しながら生えて、種類によっては、そのままにしたら
草ではなく木になりそうな勢いです。

雑そうと格闘するといつも思うのは、
懲りずに生えてくるものすごい威力です。

人間に必要とされず、毎回刈り取られるのにもかかわらず
とにかく出てくる。



もしかしたら、
本当は、
人間も、
誰のいうことも聞かなくてもいいのかもしれないと
思うほどです。


人間は、現代社会のいろいろな制約の中できちんと
生活するようにあらゆる神経を使い無理をして生きています。

人にはある程度ルールは必要ですが、
社会の中ではそれ以上にたくさんの規制、
外側にあわせなければならない不自然が
多すぎると思います。
人間の社会をよくよく思いうかべると
ものすごく不自然だらけで
不自然な神経を使いすぎているのではないかと、
雑草を刈りながら感じました。



何を言われようと、もっと好きに生きろ!!
自由に生き続けろ!!


自然の生命力は
誰に必要とされなくても、
刈り取られても、
ただただまっすぐ生えてきます。


これこそが真っ当な自然の生命力。

もっと自由に生きること。


草や枝と格闘しながら、
そんな声を受け取れたような気がしました。


人の生命も人の本心も
自然の一部。




































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