生命の自然な性質

今日は終戦記念日。

この間読んだ本に、2元性という殻の中で、私たちはたくさんの価値観を信じ込むように作られてきたけれど、これから先に、その古い卵の殻を破り、1元性という、より本質的な価値観へと進んで行くことになるだろうと書かれてあり共感しました。

1元性とは、言い換えると5次元以上の意識と通じると思います。

私の理解ですが、無意識界、空など、思考の必要ない、超自然状態のことだと感じています。

現在の2元性は、戦う、勝敗、善悪、比較、批判、評価など、あらゆる相対的な意識を仕組んだいまの地球にある性質です。悪をつくり、反対に、私は善だと感情的に興奮する意識も2元的な罠にはまっている状態なのだとか。

本によれば、2元性は、人の意識を操作するために仕組まれた価値観だそうです。私たちはそれを当たり前と思って生きてきました。ですが、歴史的にみても、人工的なものはやがて自然淘汰されて行くそうです。今の自然環境をみても、その殻がとうとう壊れかけています。私たちは、この殻が壊れるまでの期間を辛抱強く過ごさなければなりませんが、1元性 (ワンネスの意識 )の意識が生まれると、本来の意識を取り戻し、想像をはるかに超えた、素晴らしい世界を生きることになると書かれていましたよ。そして、今までの文明の発展を地球の緯度的にみると、1元性の文明はちょうど日本からはじまるのだとも。

まだまだ時間はかかりそうですし、これが本当かどうかわかりませんが、それまで生きていると思いますので、これからもただひたすらに浄化をしようと思います。


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この1−2年、母は寝ているときも、起きているときも、左手が上をむいています。

ご飯を食べるときにも左手があまり動くことはありません。

母の上を向いた左手をみると、まるで仏像の手のようになってきたと思いました。

母はこの手で本当にたくさんの仕事をしてきました。

と書いたあと、母の手を確認すると、今日はめずらしく反対向きになり、

車椅子の取っ手をがっしりとつかんでいました (笑 )

言葉を交わさずに起きる母のこういった絶妙なタイミングは、とても面白いのです。


そして、眉間の中心には、おでこのシワの上に

うっすらととても小さなお釈迦様のようなほくろもできたのです。

母をみていると、こうやって人は少しずつ神様にむかえられる準備をはじめるのだろうかと思ったりします。そう思ったときに、「まだまだよ」という母の心の声も聞こえたりもします。


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この間実家に帰省した時は、

旦那さんは、昔足のかかと骨折したことが原因で足指の調子が悪くなり、

思い切って足指の簡単な手術をしたためと、パソコン仕事で、庭仕事ができなかったので、

私がかわりに庭仕事をしました。


父亡きあとに実家を引き継いだながれで、当然のこと、帰るたびに庭仕事や草刈りに追われることになりました。やる気がなくても自然と格闘しなければならなくなり、木や草から強烈に生命力を与えてもらえることに気づき、ご先祖さまと亡き父には本当に感謝の気持ちです。

自然と共生する余裕なく、今は、格闘という表現になっています。 (笑 )

さらに気づいたことは、この間書いたことでもありますが、

これ以上生えてくれなくていいと毎回願っている草や雑草ほど、私の中に不足していた強烈な生命力を与えてくれたのです。

都内に戻った今も、わさわさと縦横無尽に生えていた雑草の大群の光景が、

自分の中に想像以上にたくさんのエネルギーを与えてくれています。


社会に不器用であるとしても、自分自身を懸命に生きていれば、何か言われようと

思われようとも気にすることはありません。

 (ときに反省は必要だと思ってます。 )

それでも、また、まっすぐひたすらに伸びたいように伸びればいいのです。

毎回強烈に刈り取られようと、時期がきたらまた思い切り伸びていいのです。

自分の生命を、終わるまで、ただただひたむきにまっすぐに空に向かって伸びるだけです。

雑草魂という言葉もありますが、こういう意味だったのだなと、その言葉に深く共鳴しました。



都会に住んでいても、不安や不満におおわれたら、すぐに自然に身をおくように心がけるようにするとよいと思います。

自然と共生する時間が増えるほど、考える必要のあることについては、静かな時間のなかでビジョンを描いておいて、その時が自然に来るのをゆっくりとまつとか、自然の流れに任せようと思えるようになると思います。

自然に関わることで教えられることは本当にたくさんありますね。


勝つことや認められることが尊いのではなく、誰とも比べることなく、自分らしく自然に生きることが何よりも尊いことで、それがこれからはじまる1元性、ワンネスへの鍵になるとも感じています。



私は、長い間、自然への意識はあっても、

実際には、まだそこにたどり着いておらず、

無理することなく、自然の流れに身をまかせています。

今年の夏は、1歩自然の方に意識がすすみました。


そして、あらためて自然の中で暮らす人たちを尊敬をもって思いました。























 

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