静けさが満ち満ちていくとき
我が家の簡素な玄関に、長年メダカを飼っている鉢があります。
運がよければ、お盆の時期にハスの花が咲きます。
今年は、ちょうど田舎から戻ってきた日に蕾が開きはじめていました。
お墓まいりをすませてきたので、亡き父が田舎から風に乗って、都内に住む母に会いにきた知らせのようでもありました。
実家でのお墓まいりでは、手をあわせたときに、頭上から足元まで、
小さな涙粒のような形の赤みがかったピンクのエネルギーが身体を突き抜けて通りすぎ、
地面まで行き渡り、そのあとに「大丈夫!!」という声なき声を受け取りました。
その時、足元にグッとエネルギーが入り、グランディングが強化されました。
話は変わって、コロナになる数年前に、実家にいると、
「これからもっとシーンとする」
という予兆を受け取りました。
そしてコロナになり、世間はとても静かになりましたが、
一瞬のことのようでした。
私は「もっと徹底的にシーーーーンとした静けさに包まれる」と感じていたのです。
最近になって自分の中にその感じが体感としてさらにリアルに降りてきていました。
Kindleで本を読んでいると、その答えのような文章が見つかりました。
簡単にすると、私たちの意識は2元性の中に閉じ込められているけれど、
自分の意識の殻を破りはじめると1元性の意識へと向かいはじめるということです。
私たちの意識は、まだ鳥が生まれる前の殻の中にいるに過ぎず、
これから1元性に向かいはじめることで、その殻が壊れはじめるのだそうです。
殻が壊れた後の1元性の意識の世界は、想像が追いつかないほどの世界になるようで、
それが日本人からはじまるとも書かれていました。
この情報を読むことによって、
これからやって来るだろうと感じたさらなる静けさの予感、
6月ころに受け取っていた幻想の中のブッダの意識、
7月5日にシンクロニシティで知ったダライ・ラマの誕生日から
受け取ったインスピレーション、
満月に行った天井 (ハイアーセルフ )がぽっかり空いた海の洞窟、
お墓まいりの時に感じたグランディングと、
「大丈夫」という声なき声、
もっとも真理だと思う「全て嘘だと思ってください」という言葉
今まで起きた意識の波がピーンと揃いはじめました。
同時に、
いまだ外の情報にエネルギーを費やし、
善悪の判断する意識が残っていたこと、
そのせいで、中心軸より、少し遠まきに浮ついた状態だったことを自覚できました。
何言ってるかわからないかもしれませんが、、、
起きていること全てが波のようにつながりながら、
意識が成長していくようです。
現時点の生活を具体的にみると、
7割介護従事者となり、家にいる時間がふえたので、
YOUTUBEなどでスピ情報をみて自分の感じていることの方向性を確認するということをよくしていました。
テレビの裏側にせよ、動画にせよ、全て他者の情報に
右往左往させられていると感じはじめていました。
選挙に熱中した時期でもありましたが、テレビを見ない分、動画依存になっていることに
少しモヤモヤしはじめていて、なんとかこの状況を脱したいものだと思いはじめて、
動画をみるよりはと、かわりに本を読む時間を増やしました。
何冊かを乱読していたのですが、今読んでいる本にいま必要なことが書かれていました。
依存についてでした。
中でも、スピ系の人は「情報依存」の傾向に陥りやすいのだそうです。
先の不安をかき消すために、これからどうなるかを知りたくなるのだそうです。
これを客観的に読んで、自分自身の長く続いていた浮ついた軸の揺れを確認できました。
情報を精査していたつもりでも、まだまだあらゆる外側の情報に、
自分自身がゆさゆさと揺れて動いています。
他人の目を気にすることはやめて、外側の気になる情報は最小限にしているのですが、
さらに必要なくなったんだなと気づきました。
さらに削ぎ落とそうと思いました。
すこしユサユサしていた状態をよりそぎおとし、
さらに自分の本質の軸にむけて集中していく。
この作業は、4毒抜きとも似ています。
8、9割の4毒抜きですが、
4毒抜きをしていると、今まで素材に対していかに色んな洋服を何枚も重ねて
美味しいと思っていたかを感じはじめたのです。
素材そのものの本質を食べざる得ないという感じで、
食べることの芯に触れはじめています。
これが自分の本質に向かうことととても似ていると思います。
4毒抜きには、逃げ場がなくて、毎日、
塩、醤油、味噌、酢、みりん、、、の繰り返しなのです。
(料理上手であれば、スパイスをもっと上手に使えるのかも )
ですが、無駄なものをとらない分、身体の内側に良質な塩分が充満してくるのを感じていて、
その純粋な塩分が身体の力を正しく動かしはじめているような気がするのです。
他には、
お茶を常温の水で飲む静けさにもちかく、
瞑想でいきつく空の感覚や、無常とも同じなのではないかと感じました。
瞑想中の意識を現実で同じように体感することは、
私の場合はとても難しいので、30年もの間、
瞑想は瞑想、現実は現実と分けていたのですが、
瞑想の意識を現実でも経験する訓練するように導かれたようです。
自分自身の軸に向かうことは、
外側に向かって力む力を使うことをやめることから徐々にはじまっていました。
人それぞれと思うのですが、私の場合には時間がかかる作業です。
根をしっかりとはり、螺旋を描きながら、まっすぐ上に伸びていく力を使う。
争い、競い合い、評価、比較、不安や不満、外側に向けた善悪の判断やおしゃべり、、
こう言ったものが何もない、無音状態の自然な静けさに満ちた意識界。
自分自身の本当に自由な本質的なサイクル。
ここにつながりはじめると、
本当の自動運転が加速されていくのだと思います。
そうすると自然にひとつの意識になっていくのだと思います。
ワンネスを無理やり意識すると、「気を使う」ということが起きますが、
まず自分自身の本質と本当につながると、
まわりに気を使う意識はいっさいなくなると感じています。
私が長い間求めていたスピリチュアルの意味はここにあります。
まだまだこれからというところです。
ですが、あきらめずに進んでいくと、いろいろな連鎖によって
すこしづつ玉ねぎの皮が剥がれ落ち、自分自身の本当の
本質に触れていくところにたどり着いて行きますね。
またここから新たな気持ちで自分再生の時間がはじまりました。
これからどうやっていこうか、昨日から色々おもいはじめました。
私は特技が何もなく、しいて言えば意識を使って自分のペースで自分をたかめることです。
残念ながら自分にしかわからないことで、誰からも賞賛されることではないのですが、
私にとっては、そのことが、かえって幸いなことだと思っています。 (笑 )
今年のお盆には、そんな心境になりました。
これからますますシーーーンと静まりかえり
集中した世界に向かうでしょう。
皆様もぜひ自分自身への集中、
本質への旅を楽しめますように。
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