ただ存在すること
公園の花は満開。ズニア。花屋さんでは珍しくないけれど、こういう花の細工もみるたびに驚くことのひとつです。デザインして改良して作られいくのだそうです。植物の生命技術も細かいですね。
花にしても葉っぱにしても、石、土、砂、木々や葉、虫や動物、人間、、、あらゆるものには同じものはひとつもないと思うたびに生命の不思議さと儚さ、精密さや正確な違い、、、果てないちがいにいつも静かな驚きがわきおこります。
土曜日と日曜日は夕方旦那さんが母を公園に誘ってくれたので、3人で近くの公園でのんびりとしました。それぞれに別の公園に行って1−2時間のんびりするだけで本当にいい休日になりました。母も久しぶりに外の空気を吸い楽しめたようです。
どちらの公園にもよく行きます。土曜日に行った公園はとても広くて、広いグランドも2つあります。グランドでは、いつも子供から大人までが、サッカーや野球ラグビーの練習をしています。5−6歳のまだ小さな子供がユニフォームを着てボールを蹴り走り回っているのをながめていました。母は人間観察が趣味の一つなので、ずっと子供達の動きをみていました。今の子供たち、体型が変わりましたよね。頭が小さくて、足が細くて長い子が多く、外人のような体型。テーブルと椅子の生活になったことや食べ物が変化したことが原因なのだとか。
公園を眺めると、お父さんお母さんがみるからに体育会系で、その子供達が両親に連れられて、何らかのスポーツをしています。運動量の多い親に育てられれば自然と子供の運動量も増えるのはあたり前ですね。遺伝は面白いなとこういう時にも思います。そうとも限らない例外もあるかもしれません。どんなことにも例外はいくつもありますよね。
日曜日はお花と緑の多い小さな公園でシートをひいて寝転がって空を見ながら昼寝をしました。当たり前のことばかりですが、人間は飛行機ぐらいの高さから見てもちいさくてみえません。人の存在はそれくらい小さい。小さいのに唯一無二の生命であって、それぞれに確実な違いがある精密さの奇跡。すべては生成と消滅を繰り返している30万年以上、すべてがちがうことがすごいなと思うのです。宇宙の生み出した生命にはコピーがない 。宇宙の基本法則。きっと宇宙意識につながり続けることができれば、本来の自然な唯一無二の自分自身であり続けることは可能なのでしょう。この生成と消滅、そして違いは誰が何のために作り出したのかGrokに聞いてみると、いろいろな回答があったんですが、一番わかりやすく納得できたのは、「生成と消滅の繰り返しと、同じものが一つもないことは、宇宙の実験でありそれが宇宙の創造そのものだ」と。
壮大な創造と実験にほんの一瞬参加する生命体。
30万年たっている人間界でも、2度と自分と全く同じ生命体は生まれてこないですよね。多分 (笑 )。自分の存在を感じると、精密であるような、でも、不完全でいい加減であるような感じもしますが、、、こういうことをめぐらせはじめると止まらなくなります。
存在=プレゼンス。
久しぶりにヨガナンダの言葉を読んでいましたら、今日ちょうどリハックの総裁選に出ているコバホークが「存在、プレゼンスというんですけどね」と話していてシンクロしました。
あらためてヨガナンダの言葉に目が覚めた思いです。
(ヨガナンダはクリヤヨガと瞑想の実践法を広めた人です。25年以上前になりますが、最強のヒーラー先生がこのかたの本を助けにしていると教えてくれました。)
ほんの一部、少しはぶきながら抜粋させていただきました。
「魂は本来あるべき姿であるため、強さを必要としません。
真の力とは、神聖な本質です。
世間に引きずられないこと。
本来の力とは、世間にのみこまれることなく、魂の神聖な本質とともにいる能力です。
力とは、自分が押し付けることから生まれるのではなく、感情や状況、揺れ動く心ではないことを知る深い存在から生まれます。
恐怖を恐れずに恐怖を見つめましょう。私をしばっているのはカルマではなく、自分ではない者への自己同一化です。
自己同一化こそが私の中に流れる無限の力を忘れさせてしまうのです。
外界との自己同一化は魂の目に見えない罠です。私は肉体以上の存在なのに、日々変化する形態と同一化してしまいます。そこから、自分が充分ではないと信じプログラムされたコピーとして生きはじめるのです。
常に見捨てられることを恐れ、成功、平和であろうと努力する。しかし真実は価値ある人間であろうとする前から、私には価値があったのです。
神に力を求める必要はない。権力を持つ必要はなく、くもりのない状態である必要がある。
力を求めるのはやめて、ただ静かに源泉にもどります。ただ静かに「私がここにいる」としればそれで充分です。プレゼンス=存在を知ることは今この瞬間を生きる能力です。手を洗う、水を飲む、歩く、まるでそれが宇宙で最も神聖な行為であるかのようにそれをする。」
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私の魂はカルマにさえしばられていないということ。
外部との自己同一化が自分をしばっているということ。
自分という存在をくもりない状態に保ちながら、本来のそのままに、自然にすごすことこそが唯一無二の魂の奇跡✨


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