より静かに軽く細やかに



昨日から新月ですね。
夕方空をみると、横線の雲の上方にアルファベットの Cの3分の2ほどの
カーブをした虹が出たり消えたりを繰り返していました。
その虹は水に揺れるようにしながらどんどんと薄くなっていきました。
家の中に携帯を持ちにもどったら、すでにほとんど消えていましたが、とても珍しい不思議な虹でした。この写真にも、うっすらと写っているのですが、、、。

まだ携帯がなかった頃であれば、その現象をただゆっくりと観察していました。
今では、なんでもいいなと思うと携帯で写メをとる習慣がついてしまいました。
それにより、じっくりとひとりで味わうことや、ゆっくり観察する時間の余韻よりも、撮ってみせることの方に意識が向くようになりました。 SNSにより、自分のペースで心の中で何かをじっくり味わうという大切な時間がすごく減ってしまったように思います。
これからの未来、知識は簡単に手に入るようになったのですが、心はますますひらたくうすっぺらになってしまうかもしれません。すこしSNSからはなれて自分に集中する時間がますます必要になってきたなと思います。

母がショートステイ中、旦那さんは泊りの仕事だったので、私は久しぶりにひとりで田舎に帰省しました。パソコンとスピーカーの入った重たいリュックを背負い、真っ暗になった山道をひたすら歩き登りました。数日間、旦那さんとは「おはようとおやすみ」と数分間の電話。そして、セッションをする以外は誰とも話すことなく、動画をみたり、時間があれば瞑想、掃除、庭に出て草刈り、草むしりと本当に淡々と静かな時間でした。草刈りと草むしりをまめにするお年寄りの気持ちが良くわかるようになりました。
一人で帰省すると、車がないのでどこにも行けないのはとても不便ですが、何もないことで、自分のあり方が数年前からどう変化して、今後どうしたいのかがみえてきたり、旦那さんや母、亡き父、ご先祖様にあらためて感謝の気持ちが湧きとても貴重な時間となりました。
便利は行動範囲を広げるなとしみじみと感じ、同時に、不便は内観に役たちました。

帰省中にある方の動画で「目にみえない世界を開かないと視野が狭くなるんですよ」という言葉を聞きました。なんと上手な説明だろうと思いました。スピと現実の違いをなかなかうまく説明できなかった私にとって目からウロコ。言葉の選び方がうまいので、説得力がありました。

3次元という物質次元だけを信頼していた方々が、どうやって目にみえない世界へと関心を向ければいいのでしょう ?一番シンプルな方法は、自然にもどる時間を少しづつ増やしていく方法です。
太陽を浴びること、夕日を見ること、空を見ること、月の光を浴びること、緑を感じること、土の上にいる時間を増やすこと、海水を浴びること、川で泳ぐこと、野菜やお米を自分で育てること、土を耕すこと、山を登ること、いろんな方法があります。
それぞれに違いはあるのですが、自然の中で暮らしている方々のオーラは、霊的だなと感じることが多いです。それは画面からも伝わってきます。身体全体から呼吸できているような優しく大らかな霊的波動です。田舎に住んでる方々にはその土地特有の霊性がありますね。

これから先、特に都心の夏はさらに暑くなります。数年後には50度になる日もくると言われていますので、自分自身のあり方を少しづつ変えていく転換期に入っていますよね。

状況は今までになく変化していきますので、頭の中が過去の古い意識のままこり固まっていると、身体がついていけなくなります。「一つのことを継続しなければいけない。」「一つのことを継続することに意味がある。」と教えを強く受けた世代の人は、もう少し柔軟に「もっと自由に変化をしてよい」と許可を出しても良いのではないでしょうか。一つのことを継続し続けることにも意味がありますが、その継続の奥には、過去の産物的な成果や、物質への強い執着がありませんか ?
はたして真理があるかどうか?その継続が自然の摂理と共鳴しているかどうか ?再考する時間が必要だと思います。なぜなら、自分のしていることが自然の摂理に共鳴するほど無駄な執着が消えていき、心が満たされていくからです。
継続する意味は何か ?本当の自分は果たしてどう思うか ?何度も何度も考察する時間をつくりながら、古い執着を脱いて、自然の方向へ変化させていけるといいですね。



こうすべきだ!!こうせねばならない!!と、自然の摂理に反してそう思う時、自分という存在は果たしてそれほどに大きなものだろうか ?と。地球の外から自分の小ささをみれば、私は砂よりもずーっと小さなみえない存在です。その小ささに気づけば、もっと自由でいいのではないか ?ということもみえてくるかもしれません。なるべく自然の摂理に沿う生き方に近づけ、3次元の強列な欲望への執着や中毒症から脱出することが健康的な生き方死に方に通じるのではないかと思います。

都会にいると、仕事に熱中しすぎて、ゆっくりと物事を考える時間の大切さをみ失いがちになると思います。本来なら数年食べるお金があれば、もっとゆっくり考える時間を持つ機会あるといいのに、なぜか仕事をやめたらすぐ次の仕事をせねば!!という心のけたたましさに追われていたりします。これは都会の磁場の影響がとても大きいのです。みんながお金を稼ぐために四六時中頭ばかり使いスピード感を持って動き回っているからです。小さな輪っかの中を足早に回るモルモットのようになり、なかなかスピードを落とすことができません。

人生には、もっとゆっくり色々なことを感じたり考えたりする時間がある方が自然だと思うようになりました。それは目にみえない世界に心を開くこと、自分の本当の声をよく聞くこと、答えが出てくるのをゆっくりと待つことにつながるように感じます。自分を鍛えるための日々の鍛錬や忍耐も大切だと思いますし、ただワクワクするということだけではないかもしれません。
大きな大きな円を描きゆっくりと進むようなイメージをするといいのかなと思います。私は、数日間一人の時間を過ごしたことで、日常生活の主婦仕事、介護、仕事の見直しができました。より静かに心を軽やかにして、もっと綿密に日々を送ろうと心あらたに思いました。











 

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