迷走から瞑想へ/観察と気づきをくりかえすことのすばらしさ


12月に入り急に寒さがつよくなった日がありました。

寒いのが苦手な母の体力がガクンとおち、

眠る時間がさらに増え食欲もすこしおちてきています。


一緒に住んで5年目。こうして母の介護をさせていただくことで、すこしづつ老いていく姿を見守っています。人はほんとうにすこしづつおいていく。

そう思いながら、、、自分も、、、

介護で外出も減り、おまけに老眼になったため、自分の顔さえも気にする機会は減ったのですが、気になって自分の顔をあらためてみたら、おでこのシワもふえているではないか。と思ったくらいで、それほどはもう気になりません。

それよりも、検診で ldlコレステロールが範囲を1ふえていたことの方がショックでした。

ネット検索で原因をさぐるも、卵を多めにとっていたことが原因なのと、遺伝も考えられ、更年期にはいると太ってなくてもLDLコレステロールが増えるのだそう。

そして、毎年区の検診を受けているからわかるのですが、年齢とともに骨がちぢむのでしょうか。身長が一年ごと5ミリづつ小さくなっているのです。よく、年齢とともに服がにあわなくなると言いますが、身長がちぢみ、顔にはりがなくなるのが原因ですね。

これから身長がどこまでちぢむのかわかりませんがこれも仕方ありません。

老いていく大先輩たちを外でたくさんみかけます。わたしもあんなふうになるのかな、こんなふうになるのかなと想像します。

おいに抵抗せずに受け入れて、その年齢で起きることを自然にあじわっていこうとおもいます。

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瞑想に興味がある方にしかシェアできないかもしれない内容です。


ここのところずっとヴィパッサナーをYOUTUBEで聞きなおしています。

瞑想歴は30年ですが、ヴィパッサナー瞑想はまだ8年目ほど。

10日間合宿に1度行き、その後はその方法で瞑想をし、生徒に配られている合宿で聞いたテープを時々聞く程度。

最近聞いている YOUTUBEは、奥深くてとても面白いので何度何度も意味をかみしめてきくことができています。

そうしているうちに、毎晩の瞑想にもすこしは影響があったのか、

ちょうど冬至前後からか、、、日常の心境にも変化がありました。

◎目に見えて興味の対象が変化しました。

◎今までの自分をふりかえり、苦悩や嫌悪について細かく観察し、原因を探ると、

無意識から決断していたことは、あとになって、たいてい大きなストレス、苦悩や嫌悪を運んでいることが明確になりました。

◎起きていることにたいして、観察する意識が以前よりこまかく明確になりました。

◎身体の中心の操縦席に座ってしっかり観察しているという実感が強くなりました。

というような変化が起きはじめました。


ヴィパッサナーの真髄はこういうことか!!!と一番すごいと思ったのは、

「私の魂」の浄化ではなく、

苦しみー渇望をひたすら観察して、瞑想で浄化していくことを繰り返すことにより、

この「私」という感覚さえも消えてしまうということなのです。


観察と気づき、瞑想の鍛錬により、感情を切りはなす。

これは今までの瞑想でもやってきたこと。

瞑想をすると、肉体にたまっている分厚い過去の感情の層が、

玉ねぎの皮がはがれるようにすこしずつうっすらとしてくるのです。

そして、ヴィパッサナーのすごいところは、ここから先のこと。

自分という意識も消えてしまうところまでいたること。

まさにとうめいになるまで浄化する素晴らしさがありました。


今までいろんなスピリチュアル学んでいましたが、

この境地を明確に教えているのはヴィパッサナー瞑想だけだとおもいます。

ご興味のある方は是非 YOUTUBEでヴィパッサナー瞑想を聞いてみてください。


自分という感覚が消える。これは浄化の真髄。

( 無理をして自分をころしてストレスをためて外側によくみせていることと、自然に自我が消えているというのはまったくちがいます。)



「あらゆる感情から沸き起こる渇望はやがて苦しみを生む。」

これは間違いない真実です。

その感情渇望苦しみを他者のせいにせず、

自分の中にあるものと自覚して観察しつくすと、

その苦しみはやがて消えていく。

これをひたすら繰り返す。

「私、これが私」という強い自我が苦しみを生む。

様々な感情がわきおこるたびに、その感情を知覚し、観察しつくす。

するとジョジョに外で起きることに反応反発することが減っていく。

いちいち感情的に外側に対して反応しなくなる。


感情的になることは、「無知のあらわれ」であると言います。

わたしは、まだまだ多少感情的になることもありますが、

この動画を何度も聴いて「無知だったんだな」という自覚が生まれました。

無知を自覚することが増えていくと自分の態度はおだやかな方へと変化します。


外側で起きることにたいして何かをしようとせず、ただ、起きるままにまかせ

起きることを観察しつくしていく。


「観察と気づきを繰り返す。」

これを繰り返し鍛錬する努力精進によって意識のよどみはきよまっていく。

そこから静けさ

深い静けさ

精神集中ーサマーディ悟りが生まれ

どんな時にも平静さを保てるようになるのだそう。

どんな時にも平静さを保てるようになると、

心が穏やかに自然と明るく幸せにみちてくると言われています。


人は無知ゆえにしばりめを増やし (しばりめとは力みとかストレス、苦しみ 緊張のこと)

苦悩する。


それはいつも心の表面的なことばかりにたわむれているから。

心の表面的なことばかりにたわむれていると

いつまでも同じ方法を繰り返すだけで、

ほんとうの心の平和にはたどりつけない。

わたしの予想では、これから、このことに気づく人は増えて、

瞑想やいろいろな方法で浄化に向かう人は増えていくのではなないかと感じています。



はじめは無知であっても、気づいて学んで経験を積み重ね鍛錬するとかならず変化します。

心の表面的な楽しみより、もっと奥にある心の汚濁の原因を探り、

浄化することこそほんとうのたのしみです。

瞑想の楽しさに気づくと、旅行に行くとか、買い物するとか、そういう興味が激減していきます。


霊的な教えには、

心の持つ本性にふれて浄化する方法がいろいろあります。

ヴィパッサナー瞑想の説明では、

他の教えにある「真我」にいたるという教えでは、

最後まで浄化し尽くせないと説明していました。

スピ系のあらゆることの中にあった矛盾やモヤモヤも、

このヴィパッサナーのテープを聞いて思うことがありました。

深い気づきでした。

ヴィパッサナーは最終的に自分さえ消えていくという浄化瞑想法です。

浄化してとうめいになる。

わたしはこれを学びたかったのです。



他の瞑想やヒーリングを学んでいる人はヴィパッサナー合宿は一度だけ経験できます。

わたしは一度だけで十分でした。とてもいい経験でした。


合宿を何度も経験して、ヴィパッサナーの教師になるような望みはないし、あの肉体的な苦しみと環境は自分自身にとってはすこし負荷がかかりすぎだなと感じました。

これからも感情の観察と自宅瞑想を続けるのが一番自分らしい方法だと思っています。


今年に入って、学ぶ時間をとおして、ここのところ迷走しがちであった瞑想が

軌道修正されました。

来年の目標は「お釈迦様みたいな不動のおだやかさ」を身につけること (笑 )


















 

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