瞑想/抑制や表現の有害さについて /


旦那さんが盛岡朝一で購入してきたリンゴを毎日煮て食べていました。

リンゴは砂糖不要でそのまま煮ると美味しいので、朝晩のデザートに毎日食し、昨日とうとうなくなってしまい、残念に思っていると、昨夜旦那さんがレモンをいただいてきました。無農薬なので、かわも食べられるのだそう。同時に兄からは実家のキウイが送られてきました。両方とも採れたて。とてもよき豊穣の流れです。どうもありがとうございます。


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昨日ヴィパッサナーから送られてきたゴエンカさんの Q&A.

言葉が奥深くまでしみ入り、何度も読み返し、夜の瞑想で静けさがぐっと深まりました。

とくに今の私にはこのQ&A は心にしみました。

最後の「抑制や表現は有害です。」

という節です。

抑制が有害なのはわかりますが、表現が有害というのはあまりにも微細で気づきにくいことですが、表現することについては、色々と考えることがありました。


何かあるとわさわさと表現したくなりますが、これを抑制するのも自然ではない。
したいと思う時、そうすればいい。

ただもっと瞑想を深くして、静けさの中に奥深く入って観察を続けると、表現すらも不純物のあらわれとなり、過ぎ去って行くのを見届けられるようになる。

これを理解できる ?、好む方がいるかどうかはわかりませんが、私はもうじき60代に入る今だからこそ、すこしわかるようになってきました。


静けさの入り口から奥へ続く道、ここから先、瞑想の境地はまだまだ先へと長く奥深そうです。

これから先、時代が進み、精神的鍛錬をつまれてきた方々や、とうめいな精神状態の方々が増えていった先には、ただ観察し続ける、ただ在るという姿をする人がふえている未来が想像できました。

個性を抑える、いや抑えるのでも隠すのでもない。

その抑制された不純物を観察しつくす、、、


表現の源というのはコンプレックスのあらわれにすぎないからただ観察し、すぎて行くのを見届けなさいというのです。


自分をみて欲しい、みせたいという欲求は、体内から不純物 (コンプレックス )が減少して行くと、完全に消えるということなのでしょう。

瞑想の境地が奥深すぎて、ここから先は、来世に持ち越したいという気持ちにもなりながら、、それくらい静けさを自然にまとえる日がきたらなんと心地よいことでしょう。

瞑想にはまだまだ先があることを教えていただきました。

ありがとうございます。


Health【健康】

Q:劣等感や優越感から、どうしたら抜け出せますか?

ゴエンカ師:それこそ、ヴィパッサナーを実践することです。すべての精神的なコンプレックスは、心の不純さです。不純さが表面に現れるのを、体の感覚で観察します。それは過ぎ去っていき、また浮上してきます。再び、あなたは観察し、また、それは過ぎ去っていきます。このようにして、これらのコンプレックスは次第に弱まっていき、最終的には生じなくなります。ただ観察しなさい。抑制や表現は有害です。ヴィパッサナーは、コンプレックスから抜け出すのを助けます。




 

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