自分のチューブを通っていく。


母の誕生日でした。



母の誕生日はショートステイに預けていたので、戻ってきてから我が家恒例、
hal okadaのヴィーガンケーキで誕生日会をしました。
地方からだと冷凍のロールケーキが注文可能です。
ロールケーキも美味しいですよ。


母は医師から痴呆症、水頭症などの判定を受けています。

とはいえ、人の言うことがしっかりわかる日、ほとんどボケていない日もあり、
また、ずっとボケている日、反応が全くない日もあります。
どれも母であり、
特に色々なとりとめのない話をする日の母は面白く、
先日の施設では、自分の誕生日をしっかり覚えていたのでしょうか、、
誕生日の日、
母は施設で介護士さんに
「マグロが食べたい」
と言ったのだそう。 

きっと誕生日だから、介護士さんに頼めば何か美味しいものを出してくれると思ったのでしょう。笑

母は特にお刺身が大好きです。
私は、母が施設でそう言ったのを知らずに、
母が家に帰ってくる日に合わせて、マグロやお刺身のお寿司を用意していました。
普段はアジが大好きで、マグロが食べたいと聞いたことがないのですが
なぜか私はマグロ多めにお寿司を購入していました。

母は願望送信が得意で、旦那さんも私も母の念を間違いなくキャッチする日は多いです。
母をみていると食いしん坊は長生きの秘訣でもあるのかなと思います。

テレパシー受信は母や旦那さんと日常茶飯事によく起きます。


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「思考、悩みからどうしても抜けられない方への一つの方法を」

前にも書いたような自分の内側に集中することと同じですが、また感じたことがありました。





枠 (制限 )にとらわれたまま、枠の中で無理やり自分を見つけ出そうとしても、
永遠に「私はこれでいいのだろうか」というループから抜けることができません。
特に枠というのは、頭で考えるエネルギーのこと。
頭で考えすぎるときに悩みや不安が増えますが、
大抵のことは考えすぎているだけで何も問題ではなく全て幻想です。

頭で考えることにいちいち気づいて手放し続けると、
いつしか「空」になります。




枠、制限、思い込みがあることにいちいち「気づくー書く」を繰り返します。

その枠 (制限 )をとった自由な自分はどう感じるだろう,
どう考えるだろうどう生きるだろうと想像することを習慣にします。
頭の枠をはずす、
頭を空っぽにするのが目的です。



例えば、枠のひとつとして「職業」があります。
  (今仕事がうまくいっている方には関係ない話です. )

自分にその「職業」の「枠」があわないのに、
その職業枠に無理にあわせてしまっているがゆえ
ストレスが溜まっている状況。


そもそも職業枠は、過去に誰かが作ったもので、
自分が考えて生み出したものではありません。

その誰かが作った枠に自分を当てはめ押し込んで苦しんでいる。

自分は一人しかいません。
他者の作ったものに違和感があるのは当たり前のことです。
都知事選で盛り上がった政治で言うところの、
自分に思想がある人は無所属というのと同じです。


自分が働くならどういう方法がいいか、何をどんな風にやるのがいいのか、
どれくらいの大きさが自分にあっているかなど、
自分自身で職業を生み出すことに時間をかけて検討するという方法も。



もう一つは、
自分の深層にある思いに気づかないまま、
社会の流れや評価につられて成功や名誉を追いかけ、
その習慣のままそこから抜けられずに苦しんでいる。
他の誰かのような成功や名誉が自分が本当に求めていたことかどうかを
度々検討する時間も必要。


自分に目を向ける時間を作らないことで、
あらゆるズレがそのままになっている。


本当の自分をみないまま時間がすぎていくことも、
悩み迷いから抜けられない原因。



自分らしさってなんだろう、
どんなものだろうかを手探りしながら四六時中集中してみていく。
それがトイレ掃除でも、靴の選び方でも、なんでもいい。

外部から見てかっこいいかとか、
くだらないかとか、
どうみられるかなども
全て自分で自分に制限をかけている状態だと気づいて解放していく。


もしも何が自分なのかわからない時には、
ただひたすら日常の所作に集中して積み重ねていくと、
他者の噂話やおしゃべりよりはずっと意味がある時間と感じるようになるかもしれません。
小さな積み重ねを楽しみながら、その中でフツフツを生まれてくる感情にいちいち気づく。
気づいたら書く、観る。
そしてそれを解放、浄化する。




継続していくと、
生まれた親や環境も、ストレスも愚痴も、折り合いの合わない人間関係も、
全て自分が選んだ世界で、
色々あったから今の自分があることに気づくことができるようになります。

自分を理解する時間が欠けていただけなのかもしれません。

また、あらゆることに感謝が
湧いてくるかもしれません。


自己発見に時間を使っていくと、ほかにはない、意外な事柄の組み合わせを
自分が楽しんでいることを発見できるようなこともおきます。
エッその組み合わせ ??その方法 ??と思うことの中にこそ発見があったり
オリジナルがあったりすることがよくありますし、
よくわからないけど、気になったこと、思いついたことを、
自由に組み合わせて集中してやっていく。
ただ毎日やってみる。
そのうちに、あらためて、自分のことがわかるようになる瞬間がやってきます。



それは自分の世界、自分のチューブに入ってきたという合図になります。
チューブは YOUTUBEから思いつきました (笑 )

自分のチューブは、背骨の付け根と足の根元から地球の中心核にも繋がっています。
毎日根元のチューブを太くしっかりと、木の根のように地球につなげてみてください。

頭上の方には、ずっと高く宇宙に向けて無限に伸びていて
螺旋状の階段になっているようなイメージです。
根元のグランディングがしっかりしてくると、
頭上のチューブも上に向かって伸びはじめていきます。
頭上のチューブが伸びはじめると、自由なひらめきやシンクロニシティが増えていきます。



自分の魂のチューブに入りはじめると、当たり前のことながら、
ほかの誰とも違うということにも気づきます。

逆に、自分の大きさはあってないような、
自分であって、自分がいないような
全ての粒子の一部という小ささも感じはじめることもあるかもしれませんが
感じ方は人それぞれ、様々です。

自分のチューブにつながるほど、
外部や他者がさほど気にならなくなり、
自由になっていきます。

それからまだその先の意識へと、
永遠と自分のチューブを通り、開いていくのです。



オリジナルのチューブを生きることってすごく楽しいことです。

進むたび、いろんな内面の問題に直面することはたくさんありますが、
それもただの通過地点です。

内面の旅はそこで終わりではなくて、
まだまだ先があって
もっと永遠に続きます。



























 




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