次元を移行するタイミング
コロナになった時にも次元を移行したと感じましたが、1日の震災の後にもまたさらに次元を移行したと感じました。
2023年にはまだ興味のあったものが、震災が起きてからすっかり視線から外れているのを感じました。
もう5次元のようです。
今までは「わたしが神」だなんて思ったこともありませんが、今はもう「皆神なのだ」と思えますし、神は完璧に近いけれど決して完璧ではない。
また、完璧でないことの完璧という言葉はすべてを含む。
それは不完全さへの許しでもある、ということもわかります。
そして、今まで以上に「シンプル!!」という言葉の光がとても神々しく頭上に響いています。
亡くなった方々と残されたご家族とのお別れはとても過酷で辛いものです。
ですが、亡くなった方に波長を合わせてみると、もうそれぞれの次元に移行されて、ほとんどの場合は過去への悲しみはなくて、すでに次をみています。
亡くなることはそれくらい冷静なことでもあるようです。
東北震災、コロナ、能登震災が起き、自分自身の中では、人々はこのような過程を経て、進化することがよくわかりました。
そうしてみると、人間にとってはとても過酷な出来事ですが、ある種の宇宙人にとっては地球で起こる大きな災害は、すべて計画であり遊びなのかもしれません。宇宙人にとっては、死とはまったくもって大げさなものではないと感じるようになりました。
小中学時代、リラとあだ名をつけてくれた男友達がいました。エリラの略だそうで、エリラとは、ゴリラの造語のようなものだと (笑 )わたしはすぐに名前を変えて名刺を作ったり、ブログの引越しもとても多いのですが、以前リーディングの時には「lila」という名刺を配っていました。その頃に知りましたが、リラとは神の遊戯という意味でもあるそうです。
今回今までの震災をかえりみて「リラ」という言葉を思い出しました。
わたしは、東北震災の時には、実家に戻っている時でした。
何度か書いていることですが、
ちょうど「日月神示」を読み終え、パタンと本を閉じ、庭に出て梅が咲いているのをまじまじと見て、玄関から母に「梅が咲く頃に神の天罰がくだるんだって」と呼びかけてから数時間ごに家は震度3程度に揺れ、テレビの中で津波がはじまりました。
コロナの数日前にも実家にいました。
部屋で絵を描いていました。降りて来たものをただ描きました。黒い丸をただ書きました。黒い楕円のような塊をオレンジとエンジが囲んでいるような絵でした。後でみるとコロナウィルスのようでした。
今年の年末は、クリスマス以降に実家に帰省していました。
旦那さんの運転で海の近くを走っている時に家々を眺めて「なぜ人は別々の箱の中に入っているんだろう。この箱をみんなとってしまったほうが良いのではないか。」とふと思い旦那さんに話しました。
「ずいぶんシュールなこと考えるね」と言われました。わたし自身もわたしは実は宇宙人ではないか、とその時に思いました。それから年明けすぐに、能登震災により一つ一つの家と言われる箱が崩壊していくのを目の当たりにしました。
実家にいる時にふと思ったことが、大きな災害とシンクロしていくように感じています。
予言というほど大げさなものではありませんが、上から降りてくることを何となく掴んでいるのかもしれないと思うようになりました。
今年ははじめから震災に見舞われましたので、やる気の出なかった防災用備品チェックをし直しリュックの中身を入れ替えました。
そして今年いちばんの買い物は家族の防災頭巾です。
いつでも備えておくとタイミングは去っていくとも言われているので、今回は抜かりないように備えていきます。
どこにいるかわからないので、防災用品が使用できるか、防災頭巾が役にたつかもわかりませんが、今年は備えました。
防災頭巾は車移動の時には車に置いておこうとも思っています。
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