思考の部屋をかたづける







「忙しいはステイタス」「無理をしてもたくさんの人とつながることがいいこと」など、自分の中心に座すたましいや霊性ではなく、外側にみえるもの、みせる部分に価値があると信じている人はたくさんいます。




それぞれのエネルギー量によっての容量、器の大きさ、感じ方も様々ですが、
忙しすぎる、人に会いすぎる、気を使いすぎる、働きすぎる、無理しすぎるなど、買いすぎる、欲しがりすぎる、話すぎる、食べすぎる、飲みすぎるなどなど、、、



私は、なにごとも「すぎている」と、思考がやむことなく、その結果体調が悪くなるので、不自然な「すぎる」生活を手放すようになりました。


無理をしていた「すぎる生活」をやめていくと、本来の自分のペースがみつかりはじめ、自分のペースで生きはじめると、もともとの生まれた意味とつながるようになり、自然と循環が良くなっていくようです。
そのために内観、瞑想を大切にしています。


私は自己内観をするとき、
自分の思考を部屋にみたてて、それをゆっくり眺めて、ただ観察して、浄化をします。

頭の中が思考でいっぱいな時を観察すると、
他人のエネルギーや想念を、スポンジのごとく寄せ集めて吸い取り、自宅に帰ってくるような状態です。
四六時中「すぎる」生活をよく観察していると、無駄なエネルギーをネガティブな方向に消耗していることに気づきました。
人は、無駄な欲望に翻弄されると、変なものを食べたり、買ったりするようになります。
結果的にそのような生活スタイルをしていると、無駄なゴミを多く出すという現象につながります。

その混雑しすぎた思考を、創造で、隅々まで強力な掃除機で吸い取り、掃除機も捨てて、隅々までシャワーで洗い流し、水拭きするようなイメージをします。





内観で大切なのは、「自分以外の人を自分の内側に入れない、帰ってもらう」ことです。
同時に「他者の中にも無断で入り込みすぎない」こと。
頭の中にいる人には「帰ってください」とお願いします。

相手の領域と自分の領域をその都度セパレーションして、
つねに掃除をしていくと、部屋の中が静けさと安心感に満たされ
「空」の状態を作ることができるようになり、心が静まり安定します。

頭を「空」にできる時間が長くなっていくと、目の前で起きている全てのことには、何も問題ないことがわかるようになります。
今まで、その問題にしがみつき、問題を作り出していたのは自分だったと理解できるようになるので、すべての現象にしがみつかなくなっていきます。

瞑想をせずとも、もともと「空」の状態が身についていて、生活の中で自然にやっている方もたくさんおられます。

胃腸も時々空にするとスッキリするのと同じです。

「空」になる時間をできるだけ増やしていくと、現実はなんら変わらずとも、不思議と多幸感に包まれます。


私は子供の頃から部屋が好きなので、自分の思考を部屋にみたてる内観はとても好きです。
思考の部屋を、実際に簡単な絵や文にして、現状の思考を書いてみると、頭の中が、混乱、散乱しているか、人や無駄な想念に囲まれているかよくわかります。
書いたもの全てが自分の作り出した幻想です。


同時に実際にある自分の部屋をマジマジと見つめると、自分の内側や思考もよく見えたりするかもしれません。
忙しくてそういう時間もないという場合には、「働きすぎている」「すぎる」という状態が起きています。


人それぞれ、生きていくには、お金もたくさん必要で「すぎる」というときを過ごさなければいけないこともありますが、
「すぎる」ことを、できるだけ手放していく。
無駄な欲を見極めて落として、自然と繋がる時間を増やし、創造をする時間を充分にとるような生活に切り替えていくと、自然な循環のサイクルに乗って3次元脱出です。

「もっと眺めるように暮らす。」
原始的な生活をしていた人たちは、無駄な消耗をせずとも、
霊的な力を信頼し、今に完全に集中して、創造を超えるような現象を具現化させていたのではないかと思います。


自分をもっとゆっくり眺める時間を作るようにならないと、
環境破壊された世の中はこのまま変わらないと思うのです。













 

コメント

人気の投稿